HOME > 臨床研修情報 > 指導医・研修医から > 指導医・研修医より

指導医・研修医より

医学生、研修医の皆さん!

■近藤真言(東京医大1975年卒 初代 研修管理委員会委員長)
 市立島田市民病院を2009年7月末に退職した者です。昭和54年に赴任して以後、大学からの派遣研修医や初期研修医制度以来の研修医諸君に長らく関わってきました。これからも、多くの研修医がこの病院で学び遊びそして育っていくことを願う者です。ここには昭和55年以来の研修医が多くのメッセージを送ってくれています。是非、一度読んでみてください。この病院の研修医教育の歴史を見ていただけるでしょう。

 この病院の研修医教育の基本は、1)医師の出発をきちんとスタートさせ長く医師として医療に関われる基本を養成する、2)すべての診療科スタッフは、直接関係する診療教育のみならず幅広く関係する研修(救急、エコー、感染症教育、医療安全など)に垣根を越えて協力する、3)病院職員は研修医が将来の医療を担うことができるよう支援と指導を行う、ことです。あなた方が今後診療に勤しむ世界は、しっかりした診療能力・判断力・決断力・チーム性を求めています。その経験を積む場として私たちはこの病院研修プログラムを作成しました。そして6年で管理型・32名を含み45名が研修を受けてきました。それ以前、大学派遣でも内科系で134名が有意義な研修を受け全国で現在活躍しています。研修病院の研修そして雰囲気が検証されるのは、彼らが異なる病院で臨床経験した後に再びこの研修病院に戻りスタッフとして地域に貢献するかにあるでしょう。この病院の各科には多数の元研修医が中堅として活躍しています。それはこの病院研修の評価となっています。

 この病院、地域で研修し、この病院であろうが全国各地の病院・診療所、そして研究活動で活躍されることを私は願ってきました。今日本は地域医療も、医学基礎研究でも大変困難な状況になっています。あなた方の研修は個人の枠には止まらない役割と責任に広がっています。いつか、それを知るときが来るでしょう。

 私はこの島田で30年、総じて34年病院臨床の一線にいました。そして、今、立場を変えて診療に関わることにしました。皆さんには直接関わることはありませんが、これまでの歴史で皆さんに関わることができるものと信じています。

指導医からのことば

■谷尾仁志(昭和大学1982年卒。総合診療科部長)
 思い出してください、医学部合格発表の日を。どのような医師になりたいと思い描いていましたか。困っている患者さんを救いたい、難治とされている病気を解明し治療法を見つけ出したい、ひたすら研究をしたいなど、さまざまな考えや理想をもって大学に入り、学んでこられましたね。初期研修が義務化され、各病院毎に研修プログラムが設定されて同じ内容を研修しますが、達成度や満足度は個人個人で差が生じます。その差はどこからうまれるのでしょうか。まわりとすぐにとけ込める人とそれが苦手な人、日々与えられたことをもくもくとこなしていく人、カンファレンスや学会で積極的に発言し、わからないことはその場で調べ、指導医にも質問しまくる人など、それぞれ個人差があるのは仕方がないことです。大切なことは、「自分が将来どのような医師になりたいのか」を常に考え、節目に自己評価をしっかり行うことです。今の自分には何が欠けているのか、それを補うのにはどうしたらよいのかを考えて研修してください。私たち指導医には、いつでも相談してください。いきなりこうしなさいという指導ではなく、どう考えるか、どうしたらよいのかを皆さんとの対話を通して「自分の頭で考えることができる医師」に育つような研修を目標としています。
 研修医は病院の宝です。指導医だけでなく看護師、放射線技師、臨床検査技師、理学療法士、薬剤師、栄養士まですべての人達が指導を通して緊張感を保ち、病院全体が活性化します。毎年システムを整備し、研修医の希望も考慮しながらカリキュラムを改善し続けています。

研修医のことば

◇2015年研修開始 ■今井一登、村松恵理子、中野 潔、杉山恵理  ◇2016年研修開始 ■1年次医師匿名

■今井一登
(2015年4月~2017年3月まで在籍)

 私は浜松医科大学を卒業後、当院で2年間初期研修をさせていただいた。生まれも育ちも浜松市の私は島田市の位置すらあやふやであったが、ふとしたきっかけで当院を見学し、紆余曲折して医師の第一歩を当院でスタートした。
 当院の強みは救急チームの存在と研修医を主体とした整った教育体制だと私は感じた。
 救急チームは初期研修医、後期研修医、専門医で構成された通年の日中救急対応チームである。通常業務の中に組み込まれているため、時に大変さを感じることもあったが、患者の病態をリアルタイムに把握し、そのチーム毎のアセスメントの仕方を2年間学び続けられたことは非常に大きい。またチームのまとめ役である「ファースト」を1年次後半から任され、どう検査を組むか、どうチームをまとめればいいか悩むこともあったが、医療はチームだという原点を改めて実感することもできた。
 教育体制に関しては、指導医や上級医はもちろん病院全体が教育熱心であり、手技をはじめ様々な経験をするチャンスをいただいた。私は1年次に循環器内科で経験した症例を東海地方会で発表した。論文を検索し、自分の症例との整合性を検討し、時には指導医や検査技師と討論するなど、症例を論理的に考察するのには大きな労力を要した。しかしその経験が日々の診療における論理的思考を磨くのに非常に役立っている。
 また2年次4月から半年間の総合診療科外来や11月からの内科系救急一人当直などもさせていただいた。困った際には上級医に相談できる環境だが担う責任は大きく、その責任故にモチベーションが高まり、大きく成長できたと実感している。自身の力不足から患者を危機に晒し、「どう対応したらよかったのか」「なぜ自分は医師になったのか」と自問自答したことも多々あるが、その都度上級医の先生方が相談に乗ってくださった。医療に関するアドバイスのみならず、人生の先輩として多くの助言をくださり、それらに支えられ今の自分があるのだと思う。
 多くの学びと支えの中、感謝のし尽くせない初期研修生活であった。

■村松恵理子
(2015年4月~2017年3月まで在籍)

 当院の研修医の人数は同程度の規模の病院と比較し少ないですが、だからこそ多くの職員が研修医を覚えてくれます。非常に研修しやすい環境でした。
 指導医の先生方は優しく、丁寧に指導してくださいます。また、患者さんや、疾患についてのことだけでなく、将来の進路に関しても親身になって相談を受けてくれます。私は同期の研修医の中でも将来の進路を決めたのが一番遅く、2年目の冬でもまだ迷っていました。他の同期は夏までにほぼ決まっていたので、その時期になってもまだ決まっていないことを心配した何人もの先生方からお声がけいただきました。各先生方から、様々な見方での意見や提案をいただき、大変ありがたかったです。
 また、コ・メディカルの方々も指導的です。当院ではエコー研修があり、おそらく他の病院より技師さんに指導いただく機会が多いです。個人的興味で細菌検査室にグラム染色や、細菌検査の流れを教えてもらいにいきましたが、業務外の仕事になってしまうにもかかわらず、快くご指導いただきました。
 そして、ある程度責任のある立場を任せられます。2年目の内科研修は主治医の、小児科研修は小児科の待機が経験できたり、2年目の途中から当直の独り立ちもさせてもらえます。自分が責任を持つということは非常に不安ですが、大変勉強になります。担当医あるいは副直の際にも自分で考え、判断はしていましたが、心のどこかで指導医の先生を頼っている面はあります。現在一人当直をしていますが、当直中、軽症にみえる患者さんでも本当に帰宅させても良いのか、その後のマネージメントはどうするのかなど非常に悩みます。一例一例が貴重な症例です。主治医の時には、科によっては患者さん、家族の面談も自分でさせてもらえます。担当医として面談に同席させてもらっていたときにはなるほどと聞いていましたが、いざ自分が話す側になると伝えなければならないことはたくさんあり、内容的にも良いことばかりではありません。緊張もします。面談前に指導医と伝えなければならない内容を確認しましたが、実際には緊張で何点か抜けてしまい、自分の説明だけでは伝わりにくい箇所もあり、同席してくださった指導医の先生にフォローしていただきました。反省の多い面接でしたが、経験させてもらえて非常に勉強になりました。指導される立場にいる時、あるいは見ているときと、実際に行動するのは格段に違うと実感する日々です。そのような経験ができるのも、病院、指導する側の寛大さと、患者さん等地域の方々のあたたかさがあってこそだと思います。
 2年間ご指導いただきありがとうございました。

■中野 潔
(2015年4月~2017年3月まで在籍)

 初期研修の2年間という時間が過ぎていくのはとても早かったです。もう2年が過ぎてしまうのかと思うと、もう少し出来ることがあったのではないかと思います。また、私はどちらかというと人付き合いは得意な方ではないですが、仕事を通して、またプライベートでもこの2年の間でたくさんの方と出会って来たのだと思います。
 ここ島田で何を得たのか、今はよくわかりません。今後の医師として人としての生活の中で島田市民病院での経験や出会いがいいきっかけになっていてくれればいいのにな、と考えています。
 ご指導いただいた先生方をはじめ、島田市民病院の皆さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。

■杉山恵理
(2015年4月~2017年3月まで在籍)

 私が市立島田市民病院での初期研修を決めたのは、大学6年次に実習の一貫で5週間当院で学んでいる最中でした。病棟でも救急外来でも上級医が熱心に指導してくださり、その指導の下で生き生きと研修をしている先輩医師達を見て、2年間の初期研修をここで行いたいと思い、希望しました。
 実際に初期研修がスタートすると、日常業務に加えて腹部/心エコー実習や日中の救急対応などで、慣れるまではとても忙しく感じました。不慣れで手際も悪く、周りのことに気を遣う余裕も無く自分のことで精一杯でした。上級医や先輩医師、同期、コメディカルの皆さんにサポートしていただきながら、何とかこなしていました。
また、持病があるため無理をすることが出来ず、他の人の2倍はかかるようなペースでしたが、着実に診療技術を身につけていくことが出来ました。この持病について理解ある指導医と同期に恵まれたこともあり、初期研修2年間を無事に終えることが出来たと強く感じております。
 当院で学んだことを生かせるよう、後期研修もより一層努力していく所存です。
 2年間、誠にありがとうございました。

■1年次医師 匿名
(2016年4月~2017年3月まで在籍)

 浜松医科大学を卒業し、2016年4月より市立島田市民病院にて初期研修をさせていただくこととなりました。すぐ近くには山が見え、茶畑があり、慣れない中でも落ち着いた環境で1年の研修は始まりました。6年間医学部で学んできたとはいえ、実際の病院に出て研修を始めて行くのは多くのことが初めてのことで戸惑うことが多かったですが、先輩医師に励まされながら指導していただき、徐々に慣れていくことが出来たと思います。
 島田での研修では、心臓エコー、腹部超音波エコーに力を入れて指導していただけました。日々の業務で忙しい中、丁寧に指導していただき、1年の研修が終わる今では自分の大きな武器として診療に使えるまで成長させることが出来たことを、非常に感謝しております。
 私が島田で研修をさせていただきたいと思った一つに、先に述べたエコーの研修がありますが、もう一つに救急の研修があります。島田での救急は、日中の救急車対応も当直業務でも、上級医によるバックアップ体制が整っています。診察し、自分の考えを上級医と相談したり、考えを吸収したり、疾患への対応、患者に対する対応を学ぶことができ、不安を感じることなくのびのびと救急の研修を行うことができました。救急症例は週に2症例カンファレンスを行い、初期研修医が持ち回りで症例検討を行いました。1年次、2年次より出てくる様々な意見や、上級医よりいただくコメントで何度も自分に足りない部分を発見させられることがあり、とても勉強になったと共に、カンファレンスを行うことが医師として重要な仕事の一つだと再認識することが出来ました。
 日々の診療や業務に忙しい中で、迷惑をかけてしまうことも多々ございましたが、我々初期研修医に対してこれだけの時間と労力を指導に注いでいただけたことを本当に感謝しております。4月より新たな病院での研修となりますが、島田で学んだことを生かせるよう精一杯頑張っていきたいと思っております。

◇2014年研修開始 ■花岡 智彦

■花岡 智彦(浜松医科大学 2014年卒)
(2014年4月~2015年3月まで在籍。その後、浜松医科大学医学部附属病院へ赴任)

 医師としての生活が始まった4月の緊張感は未だに覚えている。最初に覚えたのは採血法であった。毎朝5時頃に病棟に赴き、病棟の看護師さんに教えてもらいながら覚えた。採血しやすい血管ばかりでなく苦労したものだった。そうこうしている内に当直がはじまった。初めは2年目の先生と一緒に当番に入った。患者さんの診察をしている2年目の先生の背中がとてもたのもしかった。来年には自分もこのくらいできるようになるのかと期待半分、不安半分だった。この一年間、不安を感じる中での救急で、上級医の先生は当然助けになったのだが、救急の看護師さんの助けは最も大きかったと思う。まだまだ未熟ではあるが、いろいろな人の指導のおかげである程度のことは一人で出来るようになったと思う。
 また、指導医の先生方にはたくさんのことを教えてもらった。病棟でのオーダーの仕方などの基本的なものに始まり、患者さんへの向き合い方や診察方法、検査方法やその解釈、治療に関する物や、分野を超えて学術的なことなどこれからの医師人生にどれも役立つ物ばかりだった。
 島田での研修は私にいろいろなものを残してくれた。ここでの経験をこれからに必ず活かしていきたい。島田の皆様、一年間ありがとうございました。

▲ ページトップへ

◇2013年研修開始 ■大徳晋久、敖礼、姜乃佳、陳喆、石川恵理、瀬川祐貴、小嶋忠浩、井口文菜

大徳晋久(鹿児島大学 2013年卒)
(2013年4月~在籍。2015年4月から当院麻酔科にて勤務)

 私は生まれも育ちも鹿児島のため、島田市民病院での就職までに静岡には3回しか来たことがありませんでした。そのため、働き始めた時はもちろん、現在でも時々なぜ静岡に来ることにしたのかと聞かれることがありました。私個人の考えですが、鹿児島と静岡は非常に近いところがあると感じておりました。気候や特産品などが似通っており何となくですが親近感を感じていたことがあり静岡に決めました。しかし、誰一人知り合いのいない中、静岡の文化も全く分からない状態からの研修の始まりでした。働き始めた当初は仕事に慣れていないこともあり地元に帰りたいと思うこともたびたびありました。しかし、研修の同期・先輩・後輩、指導医の先生方、他職種の方々など周囲の方々に恵まれたおかげで段々と静岡に慣れて徐々に楽しく感じることができました。2年間働いた今では最初は分からなかった島田の方言も自ら話すときがあるくらい、地元の鹿児島弁を聞くと少しとまどうことがあるくらいになじむことが出来たと思っています。
 研修の内容についてですが、研修先を決めるにあたり私が重視したことに救急に力を入れているかどうかがありました。病院見学をさせていただいた際に救急チームのシステムに驚いたとともにとてもすばらしいと感じたことを今でも覚えております。そして、実際に2年間救急チームに参加させていただき私が研修前に思い描いていた研修を送ることが出来たと感じております。他病院の研修を経験していないため比較することが出来ませんが、たすきがけの同期の中には島田で2年間研修をしていればよかったと話していたことがありました。やはり、島田での研修は充実しているのだと実感しました。もちろん、まだまだ改善する必要のある点はいくらでもありますが研修医同士そして指導医の先生方ともとても仲良くさせていただいているため自分たちで研修をよりよい形にしていくことが出来ます。自分たちでいかに良い研修にしていくかということも研修する上での魅力と思います。
 最後にどの先生方もおっしゃいますが、島田は他職種の方々が優しく対応がすばらしいということがあります。職種関係なくチームとして医療を支えることが出来ていると感じました。
2年間の研修生活、迷惑をかけることも多々ありましたが本当に楽しく・充実した毎日を過ごすことが出来ました。本当にありがとうございました。

▲ ページトップへ

■敖礼(中国医科大学卒/ 2013年:日本の医師免許取得)
(2013年4月~2015年3月まで在籍。その後、浜松医科大学医学部附属病院へ赴任)

 研修医になって早くも2年が経ってしまったというのは驚きで、時の流れは早いものです。研修医生活が始まる事に大きな不安を抱いた2年前がついこの間のようです。
 振り返ってみると、改めてこの病院で研修できてよかったと思います。
 当院では1つの科を2~3ヶ月間十分に時間をかけて、1~2人の同期の仲間とローテートします。2~3ヶ月の期間では、その科の仕事や考え方に慣れたり真似るだけではなく、自分から考えて意見を持つことが出来るようになる十分な時間があります。
 また、救急科研修は救急の場に実際に立つ経験や当直での時間外外来の救急車の電話対応・初期対応を研修できることは他院とは異なる貴重な経験ではないでしょうか。
 4月から少し寂しくまた不安でもありますが、当院で学んだことを忘れずにがんばっていきたいと思います。

▲ ページトップへ

■姜乃佳(中国医科大学卒/ 2013年:日本の医師免許取得)
(2013年4月~2015年3月まで在籍。その後、浜松医科大学医学部附属病院へ赴任)

 2013年4月から島田市民病院で初期研修が始まった。この2年間の研修医生活を顧みると充実した日々であった。
 当院の初期臨床研修では、1年次には内科と外科を中心に、2年次ではそれ以外の診療科や希望する診療科の研修を行ってきた。
 2年間の初期研修を通じ様々な診療科をローテートし、それぞれの診療科の特徴や違いを多く学ぶことが出来た。
 一方、通年で日勤帯の救急対応や時間外の救急当直に入ることによって、診療科の垣根なく診療について学ぶことが出来た。
 その上、指導医の先生は皆優しく、質問すると誰もが丁寧に教えてくださった。うまくできない時でも、「大丈夫、大丈夫」と励ましていただいた。
 わずかな上達であっても、「上手だよ」と褒めていただき、本当に感謝しています。
 総合的に当院では医療態度、病態の把握、全人的な治療法の選択、病棟マネージメントなど今後の医師人生にとって非常に重要な経験を積むことができた。
 勉強だけではなく、研修医同士の仲がよく、仕事の後に飲み会、BBQ、花見、鍋会、花火など多彩な生活を過ごせた。
 島田市民病院での初期研修は人生にいい思い出を残した。

▲ ページトップへ

■陳喆(中国医科大学卒/ 2013年:日本の医師免許取得)
(2013年4月~2015年3月まで在籍。その後、山梨大学医学部附属病院へ赴任)

 島田市民病院は決して大きな研修病院ではありませんでしたが、静岡中部の中核病院として様々な疾患が集まるため、急患も多くたくさんの症例を経験することができました。
 上級医の方々やコメディカルの皆さんにもご指導いただき本当に感謝しています。上級医の方々との垣根が低く、コンサルトしやすい環境だと言えます。
 特に初期臨床研修医はまだまだ未熟なため、コンサルトする機会が多いので、そういった面でうってつけの病院だと思います。
 また、学会発表においても多くの機会をいただき、知識も浅く、慣れない学会発表にはとても緊張しましたが、診療に携わった症例を改めて深く考察する良い機会となりました。
 卒業したての時期は、医師としての基礎を固める時期だと思います。大きな病院で研修することを悪いとは思いませんが、まずは基礎をしっかり教えてくれて、仕事を見るばかりでなく手技を学べる病院を探すのがいいと思います。島田市民病院は皆さんが優しく、研修先としてぴったりの病院だと思います。

▲ ページトップへ

■石川恵理(福井大学 2013年卒)
(2013年4月~在籍。2015年4月から当院循環器内科にて勤務)

 研修医としての2年間がまもなく終わろうとしています。
 5週間の学生実習の選択肢に、唯一静岡県内の島田市民病院を見つけ、実家に帰れるから・・・と選択したことを思い出します。今考えてみると、私の人生を大きく変える選択であったと思います。
 実習の時に出会い、教えていただいた多くの先生方、看護師の皆様、様々な職種の方々のいる環境で、自分の医師としてのスタートを切りたい、と強く思い初期研修を島田市民病院で行うことを決めました。
 実際医師となって様々な仕事をさせていただけるようになり、医療の現場での自分の無力さを思い知り、実習の時に見た研修医の先生達のようになれるのだろうか、と本当に不安ばかりでした。しかし、先生方や看護師の皆様から多くのご指導をいただき、時に厳しい言葉を受けながら、あっという間に日々は過ぎていきました。気がつけば、主治医の覧に自分の名前が並び、一人で当直をするようになっていました。そして、責任の重さや、様々な方々との話し合い・協力・連携の大事さに気づく毎日です。院内で出会う全ての出来事に一つも無駄なことはなく、島田市民病院で日々を過ごし、学べることに本当に感謝しています。
 さて、「初期研修医」としての甘えを断ち切らねばならない時期となりました。
 指導医から頂いた、「人に教えてもらおうなんて思っては駄目だ」という言葉が今でも耳に残っています。厳しい言葉をかけつつも指導してくださる先生方に出会い、自分の進む道を選択できたことは、本当に幸せなことと思っています。
 学びの環境に恵まれたこの病院で、後期研修を引き続き行うことになりました。
 今後はさらに厳しい道が待っていることは確実です。しかし、今までの2年間で学んできたことを最大限に生かし、ご指導いただく先生方に少しでも近づいていけるよう、努力を重ねていきたいと思います。
 2年間ご指導いただき、本当に有り難うございました。

▲ ページトップへ

■瀬川祐貴(浜松医科大学 2013年卒)
(2013年4月~2015年3月まで在籍。その後、JA静岡厚生連遠州病院へ赴任)

 この初期研修2年間を振り返ると、非常に有意義な研修を行うことができたと思います。
 市立島田市民病院に初めて来たのは、学生5年の時でした。尊敬する先輩が初期研修をしており、「研修が充実していて、とても良い病院だよ」と勧められ病院見学に来たのがきっかけでした。初日に2日間の見学プランを頂きましたが、その内容の濃さに驚きました。朝7時30分の症例検討会から始まり、病棟、救急チーム、エコー見学、当直と分刻みで書かれており、大学の臨床実習よりも正直大変でした。また研修医、上級医の先生方も時間を見付けては親身になって教えて下さりました。たった2日間の見学でしたが、充実した研修、上級医の教育熱心さに惹かれ、是非この病院で研修をしたいと感じました。 実際研修が始まってもそれらは変わらず、2年間充実した研修を送れたと思います。
 来年度からは、小児科医として小児医療に携わっていきます。この2年間で培った知識や経験を生かし、医師、コメディカル、そして患者様・家族の皆様から信頼され頼っていただける医師になりたいと思います。
2年間本当に有り難うございました。関わっていただいた皆様のおかげで、ここまで成長できたと思います。心から感謝申し上げます。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

▲ ページトップへ

■小嶋忠浩(浜松医科大学 2013年卒)
(2013年4月~2015年3月まで在籍。その後、静岡市立清水病院へ赴任)

 初期研修を終えた今、思うことは2年間で本当に大きな経験をさせて頂いたと思っています。様々な知識や技能を習得することができ、大変勉強になりました。研修中に多くのことを経験し、様々なことを考えましたが、患者を良く看るということが何よりも一番大事だと思います。医師としてたった2年間の経験しかありませんが、このごろ初心を忘れてしまうことが多い様に感じます。しかし、このことは医師である限り、最後まで大事にしたいと思います。最後に、指導してくださった先生方を始め、看護師、技師の方々に本当にお世話になりました。ここでの指導を活かして、今後もしっかりと静岡の医療に貢献していきたいと思います。

▲ ページトップへ

■井口文菜(浜松医科大学 2013年卒)
(2013年4月~2014年3月まで在籍。その後、浜松医科大学医学部附属病院へ赴任)

 たすきがけで1年間のみですが、島田で研修させていただきました。
島田はどのスタッフも教育熱心であり、わからないところがあると、先生方はもちろんのこと、看護師、放射線技師の方々にたくさん教えていただきました。
 研修内容としては、日中の救急チームのおかげで救急対応に大分慣れましたし、腹部・心エコー研修はとてもよく、継続的にやっていきたいと思いました。
 1年間とてもよい環境の中で研修ができました。病院の通路を歩いていると、多くのスタッフが挨拶をしてくる、そんな明るい雰囲気が島田の一番の魅力だと思います。
 島田で学んだことを、今後の医師生活で活かしていきたいと思います。
 1年間ありがとうございました。

▲ ページトップへ

◇2012年研修開始 ■山中裕太、飯田禎人、川嶋俊幸、高 桂華、渡邉一寿、陳 昊

■山中裕太(浜松医科大学 2012年卒)
(2012年4月~2013年3月まで在籍。その後浜松医科大学医学部附属病院に赴任)

 島田市民病院での研修はとても充実しており、多くのことを経験させていただくことが出来ました。
 私は浜松医科大学からの「タスキ」という臨床研修ですので、他の研修医の方々よりも島田での研修期間が短く、1年で大学に戻ってしまう事を、大変残念に感じております。同時に島田で学んだことを大学でも生かしていけるよう頑張っていこうと、楽しみにも感じております。
 島田市民病院の先生方は、どの科の先生も教育に力を入れてくださり、優しく丁寧に御指導いただきました。また、各科の垣根が低く、どの科を回っていても様々な先生にお力添えを頂けるすばらしい環境でした。1年次という右も左もわからない状態でここまで学んでこれたのは、医師のみでなく、病院内に勤めているスタッフの方々のサポートによるところも大きかったと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 私は島田市の生まれであり、これまでも島田市で多くのことを学び、経験してきました。医師としての始まりも島田市で経験できたことを誇りに思い、これからも多くのことを学び・経験して、島田に恩返しが出来れば良いと考えております。
 同期の研修医とスタッフに恵まれ、お互いに切磋琢磨し、刺激を受けることが出来たことも本当に良かったと感じております。
 最後になりましたが、1年間ありがとうございました。また、皆さんと仕事が出来たら嬉しく思います。

▲ ページトップへ

飯田禎人(昭和大学2012年卒)
(2012年4月~2014年3月まで在籍。その後、都立墨東病院へ赴任)

研修2年間を過ごして。
 2年間大変お世話になりありがとうございました。
 2年間を振り返るとあっという間であったようにも感じますがとても濃い2年間を過ごすことが出来たと感じています。1年目に主要な科をひと通り回れるローテーションは一ずつ基礎を作っていく上でとてもありがたかったです。また、どの科の先生も非常に教育に熱心な先生ばかりで、この症例から学ぶことや、自分が行った対応へのフィードバックを頂きとても勉強になりました。救急対応など研修医に任される割合の高い所もありますが、良い緊張感の中で学ぶことが出来ました。また必ず上級医からのフィードバックがあり、忙殺されることなく気になる症例に対し自分自身で掘り下げる余裕もあったためとてもバランスのよい研修であったのではないかと考えています。
 島田市は温厚な人柄の方が多く住む場所としてもとても住み心地のよい場所でした。
 来年からは新しい赴任先で後期研修をしていくこととなりました。全く知らない環境で働くことに不安もありますが、ここで教えていただいたことを大切に頑張っていこうと思います。ありがとうございました。

▲ ページトップへ

■川嶋俊幸(大阪市立大学2012年卒)
(2012年4月~2014年3月まで在籍。その後、大阪市立大学医学部附属病院へ赴任)

 「医師としてのスタートである2年間の初期研修をどの病院で過ごすか」というのは、5・6年目の医学生にとっては悩みがつきない問題だと思います。私も6年生の春頃に同じ悩みがありました。周りの同級生の中には、いわゆる有名病院での研修を希望し色々な病院を見学する人もいれば、何も考えずとりあえず卒試がヤバいというようなグループもいました。私の場合には、縁あって島田市民病院に2泊3日の見学をさせていただき、直観で「この病院にしよう」と決め、2日目の夜の院長・研修医担当の先生との食事の時に即決してしまいました。そして約2年後の現在に至りますが、過去の自分の直観は正しかったと考えています。2泊3日の見学では見えてこない"良い点や悪い点"が2年の間に色々分かりましたが、それでも見学中に感じた事はおおむねあっていました。2年前の私も、熱心な指導医の先生や協力的なコメディカルを見てそう感じたんだと思います。幸い、いい先輩・信頼できる同期・優秀な後輩に恵まれ有意義な初期研修生活を送ることが出来、様々な得難い経験や友人を得ることが出来ました。まぁ極論を言えば、どんな病院でも強い意志や自律心があれば良い医師になれると思います。ただ、2年間この病院にいた私が言えることは「この病院にして正解だった」ということだけです。 色々な病院に見学に行く医学生の方や、過去の私のように全く見学に行っていない方など、様々いらっしゃると思いますが、実際に見学して自分の直観で決めてみるのもいいかもしれません。そして、出来れば島田市民病院に一度見学に来てください。いい病院です。

▲ ページトップへ

■高 桂華(中国医科大学 2006年卒 / 2012年4月:日本の医師免許取得)
(2012年4月~在籍。2014年4月から当院腎臓内科にて勤務)

 島田での2年間の研修は知らないうちにピリオドを打ちます。
 多くの症例を経験でき、充実した2年間でした。
 救急当直で最も実感できます。1年目は副当直として上級医と一緒に診察します。1年目の僕は日本語もあまり上手く出来なくて、患者さんの前で本当にぼーっとしている感じでした。当直は毎回違う先生について勉強します。先生のやり方は多少違いますが全ての先生がわざわざ自分を積極的に考えさせ、診察後すぐ症例をまとめさせられました。緊張しながら徐々に成長できました。2年目10月以降一人当直となり、最初本当に汗一杯でしたが、迷ったらすぐA直及び各科当番の先生に気軽にコンサルトできますし、他のスタッフに支えられ、だんだん心強くなりました。
 それに2年目の半年間、総合診療科の外来をやらせていただく外来研修制度は僕として本当にすばらしい制度だと思っています。自ら考えて、検査して診断を付けて、わからない時いつでも上級医と相談し、印象深い症例を沢山経験しました。
 ここでの研修は、数えきれないほどの朝カンファレンス、金曜日に各科先生から典型的な疾患についてのレクチャー、土曜日症例発表会、日中超音波勉強、時々CPCが準備されています。充実した日々を過ごすことができました。
 「島田で初期研修して他の病院で働く先生は、他のスタッフに島田の先生はやっぱりちょっと違うなーと言われるような研修をしたい」と当院の先生がよく言っています。島田で研修した先生は実にそういう風に言われるようになったと僕は信じています。
 後期研修もここで働くのでよろしくお願いいたします。

▲ ページトップへ

■渡邉一寿(福井大学2012年卒)
(2012年4月~2014年3月まで在籍。その後、福井大学医学部附属病院へ赴任)

 島田で過ごした二年間は本当に濃いものでした。研修が始まるまで当初は不安もありましたが、実際に働き始めると指導医の先生方は気軽に質問を聞いてくださり、また困っているときは積極的に声をかけてくれる環境だったため、すぐにその不安は消え去りました。そして、本当に少しずつですが、診察、検査、治療をしていく課程で自分の成長を実感することができました。
 二ヶ月毎の科のローテートはストレスを感じることもありましたが、島田市民病院ではコメディカルの方々との距離が非常に近く、気軽にコミュニケーションをとることができたことが、研修中の大きな助けとなり、無事に研修を終えることができました。
 また同期や先輩研修医もやる気に満ちあふれており、志の高い人ばかりだったため、非常に刺激的で、お互いに教えあい、お互いから学びあうことで切磋琢磨していくことができたように思えます。
 四月からは福井大学医学部附属病院に専修医として勤務することになりますが、学生には島田市民病院での初期研修を是非勧めていきたいと思います。

▲ ページトップへ

■陳 昊 (中国医科大学 2006年卒 / 2012年4月:日本の医師免許取得)
(2012年4月~在籍。2014年4月から当院総合診療科にて勤務)

 2012年4月から島田市民病院で初期研修が始まった。この2年間の研修医生活を顧みると充実な日々を過ごした。
 1年次の時、殆ど何も分からない状態で臨床に入った。知識が足りない部分はもちろんあるし、電子カルテの使い方も分らなかった。各科の指導医先生たちに熱心に教えて頂いて、本当にありがたかった。救急では身に付けなければならない手技、例えばルート確保、血ガス採血、挿管、心エコー、腹部エコーなどを最初の1年間でできるようになった。この後の診療にも十分活用できると考える。
 2年目から臨床の考え方を育て上げられた。週に2回の朝カンファレンスと土曜日の勉強会がある。研修医から出した症例を聞きながら、Problem List、鑑別診断、必要な検査などを上げて、自らの診療能力を高めた。病院から年間20万円の出張手当があり、各科の勉強会、学会に参加し、勉強だけではなく、発表もできた。
 2年間勉強だけではなく、みんな仲がよくて、仕事の後一緒に飲み会、BBQ、水泳、花見、鍋会、花火、流しそうめんなど多彩な生活を過ごした。島田市民病院での初期研修は人生にいい思い出を残した。

▲ ページトップへ

◇2011年研修開始 ■山角 圭、中西勇太、尾上峻也

■山角 圭(北里大学 2011年卒)
(2011年4月~。2013年4月から当院呼吸器内科)

 市立島田市民病院に来てから2年間が経ちました。2011年4月医師としての第一歩を踏み出したことは今でも鮮明に覚えています。島田での研修生活で最も印象的だったのが朝のレクチャー、症例検討会と救急科での仕事です。朝のレクチャーでは毎週朝に各科の指導医の先生方が時間を割いてくださり、1時間の講義をしてくれます。実際に臨床で必要な知識をはじめ、研修を行っていく上で必要なものを丁寧にスライドで教えてくれました。また、朝の症例検討会では実際に救急で対応した症例や病棟で受け持った症例などを発表し、卒後1,2年目の医師や指導医の先生方と議論することで反省・改善点を明確にして、知識を共有し、次の対応につなげることに役立ちました。
 救急科では2年間を通して日中の救急対応や夜間の当直を経験しました。日中の救急対応では卒後1,2年目の医師から指導医までチームを組み対応していくという形でした。ここでは指導医によるバックアップがある中、救急対応することによって指導医から学びながら力をつけていくことが出来ました。夜間の救急では上級医に丁寧に教えていただきながら対応することによって力をつけていきました。また、当院は島田市の中核病院であり、島田市全体から救急車が集まるため、救急科では重症から軽症まで様々な疾患を学ぶことができたのがとても印象的でした。
 私は妻(出産、育休で研修を一時中断)とともに子育てをしながら研修をしてきましたが、初期研修を終えることが出来たのは、指導医の先生方やコメディカルの方々の気遣いやフォローのおかげと考えております。本当に感謝しても仕切れないほどお世話になっています。ありがとうございました。また、これから1年間島田で働くので宜しくお願いします。

▲ ページトップへ

■中西勇太(大阪市立大学 2011年卒)
(2011年4月~在籍。2013年4月から当院脳神経外科)

 私は2年間、市立島田市民病院で研修をしました。研修病院毎にシステムに違いがあり、病院によっては、指導医の行う診療を見て学ぶということが少なくないようですが、当院では「研修」医ではなく一人の医師として扱っていただき、より実践で学ぶことが多い研修病院だと思います。
 当院の大きな特徴の一つに救急科研修があります。ほぼ2年間全てを通じて週に数回、日中の救急科の当番をし、上級医とともに救急搬送される患者への対応をします。そして2年次になると自身が中心となって救急対応することを求められます。また時間外の当直では、救急外来の当直を上級医の副直として経験します。しかし2年次の後半からは一人で内科系の救急外来を担当することを求められます。このため一年次の初めから少しでも多くのことを学び取ろうと必死でした。一人で当直を担当し始めた頃は不安が大きかったですが、今はある程度自信をもって対応することができるようになってきました。当院の救急外来へはごく軽症の方から重症の方まで様々な方が来院されますし、救急車搬送を断ることはほぼありません。多くのことをこの救急科研修で経験し学びました。
 また、コメディカルの方々からたくさんの指導を頂くことができることも特徴の一つです。一年次の際にエコー研修を指導医・技師の方々に指導いただきながら行っていますが、エコーを各科研修中や救急外来で実践する機会も多く非常に有意義な研修だと思います。エコー研修だけでなく、コメディカルの方々から学ぶことで刺激を受けることがとても多い病院だと思います。
 どの研修病院で研修を受けても長所、短所があると思いますが、私は市立島田市民病院で2年間研修をさせて頂き本当に良かったと感じています。

▲ ページトップへ

■尾上峻也(浜松医科大学 2011年卒)
(2011年4月~在籍。2013年4月から当院消化器内科勤務)

 研修医の2年間はおそらく、やれることの喜びと、できない悔しさの毎日だと思います。実際、僕もそのような2年間を経験しました。でも、島田市民病院ではその気持ちをより強く感じられたと思っています。それは、この病院では研修医も一人の医師として扱っていただき、スタッフから頼られることや、責任の伴う行動が求められたからです。当然、上級医のサポート、指導もありつつ、緊張感のある、心揺さぶられる2年間を送ることができました。
 特に、充実していたのは救急外来での時間です。厳しい患者さんと、厳しい看護師さんの中、2年目からはファーストを任され、他の先生、看護師さんの助けの中、一番成長を感じられました。入院病棟では、日々、診療で困ることがあると他科の先生に直接聞きに行ったり、画像が分からなければ、放射線科ドクターのところへ出向いたりと、自由にやらせていただきましたが、どの先生も忙しい中でしたが、丁寧に対応していただきました。
 全体としては、やはり自分に対する厳しさを持っていないと、充実した研修は出来ないと感じました。当然、担当患者さんに異変があった時は昼夜問わず呼んでもらうのはもちろんのこと、日々、分からないことをすぐに解決する姿勢など必要だと感じました。自分についても同様にもっと日々、疑問を持つ、疑問を持つためには勉強する、その点で2年間をやや後悔しています。ただ、この病院には頑張れば力を付けることができる環境がそろっているので、自分からもっと求めて多くを吸収していけると考えています。

▲ ページトップへ

◇2010年研修開始 ■加藤綾夏、寺本祐記、光澤定己、富澤琢也

■加藤綾夏(浜松医科大学 2010年卒)
(2010年4月~2012年3月まで在籍。その後磐田市立総合病院神経内科に赴任)

 島田市民病院で医師としてのスタートを迎えられたことは私にとって本当に幸運でした。決してお世辞ではありません。島田市民病院では”研修医=半人前”という扱いを受けることはありません。研修医であろうとも一人の医者であるというスタンスで上級医の先生方も周囲のスタッフの皆さんも接してくださいます。それは時として大きなプレッシャーとなってのしかかってきます。しかし、それを乗り越えるためにすべての人たちがサポートしてくれる体制が整っています。そして、乗り越えたときの喜びは何にも代えがたい気持ちになります。本当に感謝してもしきれないほどです。
 島田市民病院は診療科の充実や指導医の人数から見れば、抜きん出ている病院ではないと思います。けれども、それを差し引いても余るほどのサポート体制と”医者になってよかった”と思える貴重な経験が待っています。-望めば望んだだけのチャンスを与えてもらえる、失敗しても決して見捨てない-こんな温かく、でも決してぬるま湯ではない環境が島田にはあると思います。
 私は神経内科を志望していましたが、島田市民病院には神経内科医の常勤医師がいませんでした。この点には当初、とても不安を覚えていましたが、どの科をローテートしても「先生は神経内科志望だよね?じゃあこの患者さん、基礎疾患に神経疾患もってるみたいだから担当してね。」「この患者さん、神経疾患が隠れてるかもしれないんだけど、どんな検査したらいいか調べてやってみてくれる?」など、大変なお気遣いをいただき、3年目に迷うことなく神経内科への道を進むことができました。
 「研修医の先生方は島田の宝です。」初期研修の初日に谷尾先生からいただいた言葉です。2年間の初期研修を終えた今、「島田市民病院での2年間は私の人生の宝です。」という言葉をお返ししたいと思います。

▲ ページトップへ

■寺本祐記(京都大学 2010年卒)
(2010年4月~在籍。現在当院病理診断科で活躍中)

 私が島田を訪れたのは4年前、「実習病院候補に見慣れない地名があるなぁ」と興味を持ち、学生の身軽さを生かして学外実習に訪れたのが最初です。実習が休みの日に散歩がてら蓬莱橋を渡り牧之原まで歩いて行ったところが、その日は風の強い日で、茶畑の緑の上にからからと回る扇風機を随分不思議に思い、道行く人に「ありゃ何ですか」と尋ねた記憶があります。以来2年間の初期研修を島田で行い、今年から病理診断科に勤務するようになったわけですが、初期研修の事をそのままにしておいたのでは研修に協力して下さった方々の厚意に背くように思われてならないので、初期研修の紹介を兼ねて簡単な感想なぞ書こうかと思います。とは云え、日中の救急チームや当直を通しての充実した救急研修、エコー研修、また優秀かつ協力的なスタッフについては、他の方が既に繰返し強調して下さっており、屋下に屋を架すようなものですが。
 真新しい救急センターは、島田市民病院の1, 2年目医師が最も多くの時間を過ごす場です。センター裏口に植えられた桜は、救急車の到着を外で待受けるしばしの間目を楽しませてくれるだけでなく、あっという間に花が青葉に追われ、やがてそれが散るのを目のあたりにするなど一番季節を感じる所でもあります。初期研修中は、午前午後・内科系外科系を1コマづつに分け、週に3~4コマ日中の救急車対応を担当し、頼もしい百戦錬磨の看護師さんのサポートを受け、うろうろしながら横目で上級医が何に重点を置いて診察・問診を行い、どの順序で検査や治療を進めるかを学ぶ場となります。一年目四月からは(副)当直もすぐに始まります。また、2年次から始まる総合診療科外来では、「熱がずっと続いていて」「なんとなくだるくて」と訴えて受診する患者さんの初期診療を担当することとなります。鑑別診断をちゃんと挙げて検査を組み立てないと、後がつかえてにっちもさっちも行かなくなるのは、瓜を植えれば瓜がなり、豆を植えれば豆がなるのと同じです。いずれの場においても、指導医が常に教育を忘れず後ろに控えていて下さるので、意味のない無力感に落ちこまずに済んだのはありがたいことでした。
 夏になると、目先の手技にはそろそろ慣れてくる頃です。次第に上級医を真似て検査を出したり、自分で鑑別を考えたり出来るようになってきます。島田はまた温泉も多く、なかでも川根温泉は露天風呂のすぐそばを蒸気機関車で有名な大井川鐵道の線路が走っており、関西ではお馴染みの京阪、近鉄特急、南海の懐かしい車両が通り過ぎてゆくのを眺める事が出来ます。氷水で冷やした薑に味噌をつけて食べると美味い、ということを知ったのもこの時でしょうか。忙しい中にも楽しいことはいくらもあります。
 秋になると、病院の裏に迫る山々も様々に色づきます。そろそろ病院もさらに忙しくなる頃です。私の一年目は秋から内科系研修が始まりましたが、この頃は悠揚迫らぬ経験豊富な指導医の下で、朝から晩まで病棟と救急外来をちょこまかと動き回っていた記憶しかありません。今は顕微鏡が相手で、この慌ただしさからは少し遠ざかりましたが、この時期の症例は患者さんの顔を伴ってどれも印象が強く、標本から臨床を想像する上で貴重な経験であったと思います。ついでながら島田は剖検数も毎年20例前後あり、希望すれば呼んでもらえますので、まめに行けば初期研修の2年間で屍体解剖資格取得に必要な数が揃います。
 2年目の冬には、島田の奥にある川根の診療所に2週間研修に行きます。川根は静岡県とは云え、山間部ですからとにかく寒く、三日目の朝、宿の壁からしみこむ冷気に震えて目が覚め何事かと障子を開けると、目に痛い白面が広がっていたのには驚きました。滑り滑り診療所に辿り着くと、途端に「今日も診療所やってますか?」と確認の電話。数年ぶりの積雪とのことで、診療所の先生と外ばかり眺めていました。そんな日でも午後からは往診があり、家族構成から住所から何でも知っている看護師さんの運転で、先生と三人で患者さん宅へ向かいます。診療所からの帰り道には、誰が作ったか早速雪だるまが転がっていましたが、頭が随分と小さかったのは、途中で雪が足りなくなったのか飽きたのかどちらだったのでしょうか。それはさておき、診療所には風邪っぴきも来れば、急いで市民病院に搬送しなければならないような人も歩いてやってきます。慢性期の高齢者ばかりでなく、近くに工場や作業所があるため存外に若者も診療所を訪れます。折しも冬のまっさかり、インフルエンザの子供も3人、4人と車で連れだってやってきます。暇な時には、糖尿病の患者さんと小一時間、二人して生活習慣改善の方法について雑談もとい相談したり、といったことができるのもここの研修ならではです。島田の冬は大阪や京都と比べるとやはり暖かいですが、それでも寒い日は静岡おでんなぞいいですね。思えばダイコンもこんにゃくも周りの汁を吸っていい味を出すわけで、学生の方には、島田市民病院の濃くてよく味の出た汁に浸かりに来て頂ければ、中でプカプカ浮いているがんもどきの類いとしては嬉しく思います。お供には島田の銘酒「女泣かせ」もありますよ。

▲ ページトップへ

■光澤定己(京都大学 2010年卒)
(2010年4月~2012年3月まで在籍。その後京都大学医学部附属病院整形外科に赴任)

 2年間研修をしましたが、最後に受けた整形外科での研修について記します。
 4ヶ月間の研修で本当にお世話になり、ありがとうございました。
 整形外科に関する知識がほぼゼロに近い状態からのスタートでしたが、先生方、コメディカルスタッフが優しく丁寧に教えてくださり大変勉強になりました。
 短い期間でしたが数多くのことを学ばせていただき、整形外科の診察の基本、手術手技の基礎も少しは身についたと思います。
 後期研修の先生は主戦力として一人でどんどん執刀する一方で、困難な症例には必ず指導医の先生が入ってサポートしており、理想的な研修環境と感じました。
 島田で学んだことを生かして、これからも精一杯頑張りたいと思います。
 本当にありがとうございました。

▲ ページトップへ

■富澤琢也(和歌山県立医科大学 2006年卒)
(2010年4月~在籍。現在当院整形外科にて活躍中)

 整形外科として、一般的な外傷などを中心に経験を積みたいと考え、インターネットなどで当院を見つけ、就職させていただき、もうすぐ一年が過ぎようとしています。
予想以上に症例は豊富で、外来がない日はほぼ毎日手術室に足を踏み入れています。しかも、自分が執刀医となる状況も非常に多いです。
 百戦練磨の上級医のアドバイスをいただきながら、経験をつみ、反省を繰り返す日々です。最近徐々に慢性疾患(脊椎、人工関節など)の手術も執刀の機会を頂いています。(もちろん前立ちの先生に頼り切りの状況ですが・・・)。外傷以外もかたよりなく経験できると思います(ACL再建などスポーツ整形も)。
 整形外科医として、執刀医として経験を積みたい、と考えている若手の医師にとっては、当院はチャンスにあふれていると思います。
 カンファレンスでも、上級医の先生方の膨大な知識に裏打ちされた的確なアドバイスを受け、毎週勉強になります。
 JBJS、AAOSなどの英語論文から、臨床整形外科など日本語の論文雑誌も、図書館に用意されており、時間の空いた時にはナナメ読みし、現在の整形外科の流れを感じとることもできます。
 また、静岡県は東名高速、新幹線で、休日は東にも、西にも遊びに出かける事もでき、(東京、名古屋、京都、大阪など、日帰りも可)、気候も温暖で、人柄も温かい方が多く、研修以外にも楽しめる事が多数あります。
 以上、いろいろと書きましたが、決して暇な職場ではないかもしれませんが、少しでも執刀などの経験を積みたいと考えている方には、頑張った分、それだけのものが得られるのではないかと思っています。興味を持たれた方は、気軽に見学にいらしてください。

▲ ページトップへ

◇2009年研修開始 ■神田貴弘、花澤豪樹

■神田貴弘(三重大学 2009年卒)
(2009年4月~2011年3月まで在籍。その後、浜松赤十字病院循環器内科に赴任)
 この島田市民病院での研修の特徴の1つに、救急研修が挙げられます。1年を通して日中の救急チームに参加しながら、最初は上級医の先生のすることを見よう見まねで、慣れてきたら自分なりの鑑別疾患を考えながら問診・診察を行ったりと、ステップアップ方式に研修することができ、自分の対応の何が良かったのか、逆に何が足りなかったのか、しっかりフィードバックを受けることができます。日・当直は上級医との併直で始まりますが、2年次の後半からは1人での診察を任せられます。検査・治療方針に関して、すべて自分の判断に委ねられ、当然多大な責任が自分にかかることは間違いありませんが、逆にその分、本気になります。上級指導医が当直されていますから、迷ったときにはすぐに相談できますし、各科のオンコール体制も敷かれています。1人当直が始まったばかりの頃は、不安と恐怖で眠れないことが多々ありましたが、2年次が終了するころには、それなりに自信を持つことができました。このように、当院での研修は多くの患者さんに出会い、あらゆることを経験できるシステムだと思います。
 医師としての最初の2年間を島田で研修できたことは、これからの人生においてかけがえのない宝物になると信じています。

▲ ページトップへ


■花澤豪樹(京都大学 2009年卒)
(2009年4月~2011年3月まで在籍。その後、京都大学医学部附属病院放射線治療科に赴任)
 大学5年生の時に実習で3週間お世話になりました。学生実習の外病院として一番最初に回ったのが当院でした。その後様々な病院の見学にいきましたが、最終的に当院こそが自分を磨くために最もふさわしい病院だと判断し、お世話になることに決めました。
 卒後1年目からバリバリ救急対応をし、2年目には総合診療科外来を受け持ったり主治医として責任をもって担当する、という経験は他の病院では決して得られなかったものと思っています。スタッフの方も皆様医療に対して真摯で、かつ親切でした。
 自分の至らなさが原因で辛い経験もしましたが、それを受け止めてくれるだけの素地が、この病院にはありました。
 後輩の皆様には、当然自分に合った研修病院を選択して欲しいと思いますが、その選択肢のひとつとして「島田市民病院」は絶対にはずせないと言いたいです。

▲ ページトップへ

◇2008年研修開始 ■沖塩尚孝、岩﨑涼太

■沖塩尚孝(弘前大学 2008年卒)
(2008年4月~2010年3月まで在籍。その後、慶応大学医学部附属病院リハビリ科に赴任)
 島田市民病院での研修の具体的特徴を述べます。
①エコー研修 
 腹部エコー、心エコーの研修があります。目標はどちらも救急外来での実用レベルを想定しています。私は医学生のころ、全国の有名病院のいくつかに見学に行きました
が、競争を勝ち抜いた優秀な研修医でもエコーができない人がほとんどでした。私が島田での研修を決めた理由の一つは、救急外来でさらっとエコーで診断を確定する研修医の姿が印象的だったからです。島田で研修すれば、努力はある程度要しますが、救急外来での実用レベルまで到達することができます。私は詳しい心機能評価や小さい肝腫瘍などわかりませんが、FAST、尿管・腎結石、水腎症、大動脈血管壁の異常、肝内胆管拡張、腹水、弁疾患、心不全、心筋収縮異常部位と心電図を照らし合わせるなど行い、救急外来を何とかこなしていました。専門科での実用レベルはまた別になりますが、何科の医師になるにせよ、エコーは非常に簡便で情報が多いため、診療に幅がでて、全身を診ることができるので、大きな財産となるでしょう。ただし、内科研修中の半年間に週2回の研修となります。半年間の外科研修中は枠がありません。しかし、やる気次第で空いた時間にエコーを研修医同士で練習したり、技師の先生にお願いして、担当患者のとき指導してもらったりなど、いくらでも機会を作り、技術を上げることはできます。

②救急チーム
 研修が始まると、月~金の午前(8時半~12時)、午後(12時~17時)の10枠中、3枠程度を救急チームの一員として担当します。4~5人の医師で構成するチーム内の上級医がリーダー、ファーストとなり、監督と指示系統が割り当てられていて、スムースに救急診療が進んでいきます。最後に診断がつくと、ファーストが症例を総括し、研修医に質問するフィードバックが必ずあります。これがプライマリケアの勉強になります。島田での救急診療には常にフィードバックがあり、症例も多く、どんなに忙しくても、上級医は教育しながら診療を進めますので、研修として充実しており、その姿勢に頭が下がります。外科系救急チームもあり、外傷などはJATECの標準的な評価手順がしっかり学べます。緊急のピンチのときには救急専門医に相談でき、万全のバックアップがあります。私はよく救急専門医にわからないことをまとめて質問に行きました。

③高い志を持った医師・コメディカル
 島田のスタッフの志は高いです。いくら多忙でも、地域の医療環境が悪化しつつある現況でも、医療制度に疑問を感じても、患者の求めに応じ、医療をはじめとして様々な雑務を遂行しています。人として、研修医として、感じるものは多いでしょう。志の高い医師の割合は他院よりかなり高いと、いろいろな病院を経験してきた上級医の多くが言います。若手の医師は遠く輝くキラ星のように優秀です。ロールモデルとしたい方もきっといるのではないかと思います。大半の診療科では指導医から研修医は医師として対等に扱われますが、その代わり、責任も求められます。
 多くの診療科では、検査、手技(中心静脈カテーテル挿入、動脈ライン、気管内挿管など)、面談、その他と、とにかく色々と経験させてもらえます。上級医がバックアップしてくれる場面がほとんどですが、上級医がすでに模範を示した後に、こちらの力量を推し量った上で、本番がやってきます。冷や汗をかきながら行い、上級医の評価がフィードバックされ、学習します。
 麻酔科では、医学にとどまらない人間学のようなアカデミックな研修生活でした。脳卒中科では、指導医が大量のコピー資料を忙しい合間に作製して、質問に対し非常に詳細に分かりやすく答えていただき、逆に質問することが遠慮されるくらいでした。整形外科では要望にそって、かなり自由な研修ができました。循環器内科の先生方には循環器内科研修のみならず、救急でも2年間、大変素晴らしい指導を受けました。質問し、相手に考えさせ、一緒に考え、答えを導こうとする教育でした。
 臨床経験以外の社会的な経験も少ない、未熟な研修医に対し、こちらのミスやいたらなさに対しても、敬意を失わずに対応してくれたり、カバーしてくれたりするナースもいます。そんなときには、自分の未熟さが逆に、目標とする医師像に向かう強い駆動力となって強烈に跳ね返ってきます。ナースの配慮に対して、患者に迷惑をかけず、ナースとうまく協力する、知識・技術・実行力を兼ね備えた医師になろうと、半ば衝撃を受けたような気持ちで心に誓ったことを思い出します。非常に思慮深いそのようなナースには感謝しかありません。救急ナースも非常に有能で、トリアージも診療の手順も心得ています。最初、研修医との力量の差は歴然としています。ときどき、手厳しいかもしれませんが、へこまず付いていきましょう。研修中に力が付いていけば、必ず強力な味方となり、何度もピンチを救ってくれることでしょう。
 放射線・検査技師の方は時間外でも不平一つ言わず、スピーディーに来てくれます。放射線技師の方と救急センターでCTの画面を見つめながら、討論することが非常に多かったです。軽く冗談も言い合える良い雰囲気です。そのような環境こそミスを減らします。緊急で画像検査を追加するときも、快く応じてくれます。予想に反して、重大な所見があった場合には、技師の方から即座に一報が入ります。これにはとても助けられました。エコーの技師の先生にも大変お世話になるでしょう。
 このように気持ちの良い人が多くいる島田ですので、人的なシステムとしては非常にいい環境です。島田のナース、技師、その他コメディカルは非常に熱心、積極的、協力的で、多くの病院を巡ってきた先生も驚嘆しているほどです。

④たくさんのカンファレンス
 島田は多くの研修医の教育をしてきた遺産として、月、火の救急カンファレンス、指導医クラスによる金のミニレクチャー、土曜の総合診療カンファレンス等、たくさんのカンファレンスがあります。これらに出席し、熱心に聞き、質問するべきでしょう。救急チームでの経験と多くのカンファレンスを通して、2年次後半からの当直ができるようになります。先輩研修医同士のやり取りを聞くだけでもかなり勉強になります。

⑤充実した内科研修
 内科の専門科として、循環器内科、呼吸器内科、消化器内科、糖尿病・内分泌内科、血液内科、腎臓内科があり、特に前2者はかなりの充実ぶりです。学会発表や若い医師の数も多く、教育熱心で、後期研修、専門医取得まで残ることも十分考慮できると思います。他の内科は垣根が低く、非常にコンサルトしやすいので、横断的な内科研修が可能でしょう。内科認定医の症例もしっかり稼げます。

 私はリハビリテーション科の専門的な学習のため島田を離れました。初期研修とは内容的にかぶらない多くの領域があります。リハビリテーション病院では、動脈硬化バリバリの爆弾を抱えている患者に対し、リハ医が慢性疾患の内科的整形外科的管理から、急変時の診断と対応、急性期病院への搬送まで行う必要があります。そのため、迅速な診断と超急性期の治療、挿管などの手技が求められます。手際よく全身を評価していく救急の手順はまさに必須で、島田での経験が役に立ちます。島田のスタッフの志の高さを、勤務先で体現できるようになれればと思います。

 島田は都会ではありませんが、どうしようもない田舎でもありません。温泉や飲み屋は結構あります。看護学校を併設しているからか、若く綺麗なナースが多いです。このような島田で研修してはいかがでしょうか。
スタッフの方々のご健康と島田市民病院の益々の発展を祈念しております。

▲ ページトップへ


■岩﨑涼太(山梨医科大学 2008年卒)
(2008年4月~2010年3月まで在籍。その後、山梨県立中央病院に赴任)
 島田で2年間の研修において最も特徴的なものは2年間を通しての救急外来での研修であると考えられます。日中の救急車の対応と月4回の当直業務で一般的な感冒、胃腸炎などから急性心筋梗塞・急性心不全・クモ膜下出血・消化管穿孔など重篤な疾患まで幅広い経験を積むことが出来て、これは私の財産となりました。また1年目には内科系研修・外科系研修がそれぞれ6ヶ月間ありますが、内科系研修においては心臓エコー・腹部エコーの研修もありエコーに慣れ親しむことが可能です。エコーは非常に有用な検査で、外来業務・病棟業務において必須の検査です。
 以上が長所ですが欠点ももちろんあります。まず救急業務を2年間行いながら病棟の業務を行うために広く浅い研修になることは否めません。(特に内科系では循環器内科・腎臓内科と同時に二つの科を研修するために深い研修は困難です。また外科系の救急研修においては症例数が少なく充実した研修とは私は思いませんでした。) 加えて科によりスタッフの数に差があります。循環器・呼吸器・外科などは充実していますが、スタッフが少ない科もあります。
 将来選択する科が内科(特に循環器・呼吸器)・外科である人、救急外来での濃い研修を望む人であれば充実した研修が積めると考えられます。

▲ ページトップへ

◇2007年研修開始 ■露木義章、太田慎吾、丸山大介

■露木義章(島根大学 2007年卒)
(2007年4月~2009年3月まで在籍。現在、当院循環器内科にて活躍中)
 2007年4月に整形外科研修から始まった初期研修ですが、内科・外科系をローテートした1年間を振り返ると、非常に充実した研修生活が送ることができたのではないかと思います。これも当院の初期研修システムの充実と、指導してくださる指導医・上級医の先生方、コメディカルの方々のおかげだと感謝しております。
 当院の初期研修の大きな特徴として、2年間通じての救急チーム・当直業務、内科研修中の腹部・心エコー研修、毎週土曜日の総合診療科カンファレンスがあげられます。救急チームでは各科通常業務をしながら日中の救急車対応をしており、内科系・外科系に分かれて上級医と共にチームで診療にあたります。手技の実践・指導はもちろんのこと、チーム解散の度に症例のまとめを行うことで、知識の再確認だけでなく新たな知識を得ることも非常に多いです。救急車が多いと通常業務が遅れてしまいがちですが、手際のよさも身についたのではないかと思います。当直では月4回副直として上級医の下につきますが、見る・実践・評価とフィードバックの体制が自然とできているように感じます。症例も多岐にわたっており毎回学ぶことが多いです。エコー研修は指導医・技師の方々にご指導いただきながら行っていますが、各科研修中や救急・当直で実践する機会も多く非常に有意義な研修だと思います。総合診療科カンファレンスでは、各自が経験した症例を提示しディスカッションすることで他の人の反省点を自分の診療に生かすことができ、まだ自分が遭遇したことのない症例の対応方法も学ぶことができます。また症例の考察スライドを作成し、知識の共有だけでなくスライド作成に慣れるという利点もあると思います。
 上記以外にも充実した研修内容が用意されており、後期研修医の先生方も多く「屋根瓦式」研修の形に近いものとなっています。また各自机と書棚を用意されたきれいな研修医室も用意され、環境も非常に恵まれていると思います。初期研修をどのようなものにするかは本人次第ではありますが、やる気に見合う研修システムが当院には整っていると思います。
 初めて見学に来た時、そして初期研修が始まった頃、初期研修2年目の先生方や後期研修医の先生方の豊富な知識、技術をみて、「はたして自分もなれるだろうか」と非常に疑問でした。その疑問は1年経った今も消えませんが、この恵まれた環境を十分に活かし残り1年間の初期研修でさらに多くのことを身につけたいと思っています。医学生のみなさんには初期研修を行う病院として当院をお勧めしたいです。ぜひ一度見学に来てみてください。

▲ ページトップへ


■太田慎吾(弘前大学 2007年卒)
(2007年4月~在籍。その後、和歌山県立医科大学附属病院に赴任)
 早いもので研修生活が始まってから1年半が経とうとしています。右も左も分からず、右往左往するばかりの毎日であったかのように思います。当院では、病院全体が「研修医を育てよう」という環境が整っていて、先輩医師だけでなく看護師さん、技師さんなどスタッフの方々の暖かいご指導があり、たいへん働きやすい職場となっています。
 当院研修の最大の特徴は、通年で受けられる救急部での研修です。当院の救急部は1次から3次までの救急を行っていて、感冒から心肺停止まで幅広い症例を経験することができます。当院の研修は自らが率先して行動しなければならない環境にあり、見学だけで終わる無意味な2年間を過ごすことはありません。経験できる手技は他の病院に引けを取らないと思います。2年間のエコー研修の成果もあり、ほとんど全ての研修医は腹部エコー、心エコーを行うことができます。これは、救急外来でも日常診療でもたいへん有力な武器になります。また、指導医の先生方の教育も熱心で、研修医カンファレンスなどの勉強会も充実しており、経験した症例を「振り返る」場も用意されています。
 しかしながら、環境がどれだけ整備されていても、大切なのは自分のやる気です。
 研修医制度が始まりスーパーローテート制度が導入されました。自分の進むべき道が決まっていても、2年間はある程度の「回り道」をしなければなりません。回り道をどう活用するかは皆様次第です。ただ与えられた仕事をこなすだけでは、課題を与えられた大学のポリクリと変わりありません。自分の将来にとって不必要と思えば切り捨てる勇気を持つことも必要ではないかと私自身思っています。「何がしたくて、そのためには2年間何をするべきか?そして、そのために学生時代何をしておくべきか?」と考えている皆様、是非当院に見学に来てください。充実した2年間を共に過ごしましょう!

▲ ページトップへ


■丸山大介(大阪市立大学 2007年卒)
(2007年4月~2009年5月まで在籍。その後、旭川市立病院へ赴任)
 まだ初期研修の途中ですが、今まで経験させていただいた各科について簡単に記載します。

 エコー:個人的には当院研修の最大のウリではないかと思います。完璧詳細に観察できるのは難しいですが、救急で利用する最低限の範囲であれば、なんとか使えるようになると思います。
 救急:日勤帯の救急チームと夜間休日当直で経験します。救急チームの詳細は別ページに譲りますが、チームの一員として多くの症例で経験を積めます。最初は何をして良いか分からない状態でしたが、多くの先生方に教えていただきながら、少しずつ勉強し当直帯の救急車にもきちんと対応できるようになるのが目標です。当直は内科系と外科系に分かれており、それぞれ上級医の先生と一緒に診療に当たります。最初は見学から始まり、しばらくすると上級医の先生に一緒について頂きながら自分で診察をするようになり、1年目の秋ぐらいには少しずつ自分で判断しながら、適宜上級医の先生と相談してやっていくようになるかと思います。2年目の後半からは独り立ちとなります。
 内科:当院の特徴の一つで、内科研修は複数科を同時に研修します。研修期間中はカンファレンスが重なるなど大変な部分もありますが、内科を幅広く経験することができうまく利用すれば、よいシステムのように思います。
 麻酔科:手技に目がいきがちで、事実、挿管や脊椎くも膜下麻酔などを経験することができますが、それのみならず研修の後半になってくると自分の考え・戦略で麻酔維持を経験させていただける部分も増えて、そこがとても興味深かったです。
 外科:ほとんど毎日手術に入ることができるので、外科系志望の先生には特によい環境だと思います。
 整形外科:こちらもほぼ毎日手術に参加となります。その他には多くのレントゲンを見ながら、手術の適応を教えていただいたり、1ヶ月と短い期間ですが救急外来の時にとても役に立っています。
 精神科:現在では精神科がなくなってしまったため、近隣の病院にお世話になっています。精神科疾患をしっかりと診られるのはこの時期だけかもしれません。よく教えて頂くことができました。
 地域:島田市の北部に川根あるいは川根本町という地区があり、そちらの開業医の先生にお世話になります。外来研修が中心となりますが、普段の救急外来と違って一晩のおつきあいではなく、再診で経過が追えるのがとても新鮮で、少し長い目で処方を考えたりできるようになったように思えます。
 小児科:一番の特徴は主治医として診療するということだと思います。もちろん困ったときなどは上級医・指導医の先生方に相談させていただけますが、多くの部分を自分の裁量で決定できやり甲斐のある反面、プレッシャーも大きいです。
 生活:島田での研修で数少ない残念な点、官舎が古くてあまりきれいではありません。研修が忙しく自宅にいる時間はあまりないかもしれませんが…。お給料は研修医として十分すぎる額だと思います。使う時間もなく貯まる一方? コメディカルの方々のアクティビティーも非常に高く、わからないことなど快く教えてくださる方が多いです。

 以上、各科の研修の内容を書かせてもらいました。あとは実際に見学に来ていただいて、ご自身の目や年の近い研修医の本音を聞いて進路選択の参考にしていただければ幸いです。

▲ ページトップへ

◇2006年研修開始 ■齊藤正男、角田哲治

■齊藤正男(山梨大学2006年卒)
(2006年4月~在籍。現在当院呼吸器外科にて活躍中)
◇初期研修を振り返って(2008/03)
 まず2年間はあっという間にすぎてしまうということ。明確な目標と具体的なプランがないとただただ日常診療に追われて時間だけがすぎていってしまいます。
 僕は呼吸器外科を専攻しようと考えていますが、初期研修、特に最初の2ヶ月ぐらい明確な目標はありませんでした。ただ内科・救急がしっかりしており、プライマリケアを学ぶにはいいところだなと思い当院にマッチングさせてもらいましたが、具体的に何がしたいかということにはあまりピンときませんでした。
 しかし、当院では研修プログラムが非常に充実しており、特に6ヶ月間心臓・腹部の超音波研修があるのですが、あとからやっておいてよかった、と心底思います。救急外来でも病棟でも近くにあって非常に頼りになるものになりました。このようにしっかりとしたプログラムがあるのも先輩方が積み上げてきた経験と試行錯誤の結果だと思います。
 研修医の意見がすぐに病院全体に反映されることもいい点の一つです。僕たち研修医のトップは某副院長ですが、研修医の自分勝手な意見もしっかりと病院として汲み取ってもらえ、熱い情熱(熱燗?)をもって僕たちを育ててくれています。このようなしっかりとした体制がなければ、確固たる信念がない(?)僕は充実した初期研修はできなかったと思います。
 初期研修でやりたいことがはっきりしている人はそれにあうところを探すということもいいと思いますが、当院のようにしっかりとしたプログラムを持っているところを選ぶメリットというのも大きいと思います。また、当院では自分の希望(特別に研修したいこと)を実現させてくれる体制もあります。僕はもう少し当院に残らせていただき研修を続けさせてもらおうと考えていますが、興味のある方は一度当院を見にきてください。そして一緒に研修しましょう!

▲ ページトップへ


■角田 哲治(昭和大学2006年卒)
(2006年4月~2009年3月まで在籍。その後、横浜市栄共済病院へ赴任)
◇初期研修を振り返って(2008/03)
 大学生の頃初期研修第1希望にしていた当院にマッチングすることができ、大変喜んだのを思い出します。その選択は間違っていなかったと初期研修を終えようとする今改めて思います。
 当院を選んだ理由として①プライマリーな疾患を学ぶ上で、近くに大きな病院がなく、入院患者の疾病に偏りがない、②病院が都会過ぎず、田舎過ぎないところに建っていて研修に集中できる、③病院がある程度規模が大きく、医師が充実している、④研修制度が昔からあり、ノウハウが備わっている、④電子カルテを採用していることでした※(下記『初期研修1年目を振り返って』参照)。初期研修1年目を迎えたときにはそのどれもを満たしており、毎日充実した日々を送ることができました。それは2年目の終わりを迎えた現在も変わりありません。
 初期研修中には当院の特徴でもある、内科研修中の心エコー・腹部エコー研修、救急チーム、朝の症例カンファレンス、レクチャーなどを毎日こなしていくことで、自然と診断能力がついてきたと思います。1年目にはとても不安でたまらなかった救急対応、当直業務が自信をもって行えるようになってきたと思います。当然今でも診療中判断に迷うこともありますが、1年目の初期は「何が分からないかが分からない」ような状態でしたが、現在は「病歴からは○○を疑うが、診察・検査の結果からは診断に迷う」などと分からないことがより具体的になってきたと思います。判断に迷っても救急チームには上級医の先生がいますし、また当直時には必ず上級医の先生が院内で当直されており、当直でも相談しやすく、初期研修医には手厚いバックアップが用意されているので安心です。
 当院の初期研修では医療現場のイロハを教えてもらうだけでなく、2年目が終わった時に、初期診療を一人でもこなせるよう診察・問診技術・検査手技・診断能力を得ることができる研修だと思いました。私は現在でも当院で初期研修を送ることができたことに心からうれしく思っています。そして引き続き後期研修も当院で受ける予定です。

◇初期研修1年目を振り返って(2007/03)
 2004年私が大学4年次のときから臨床研修医制度が始まりました。大学病院を選んだ先輩、市中病院を選んだ先輩の話を聞いて、研修制度が整っていて、たくさん手技のできる市中病院を念頭に病院を探しました。
 自分が探す上で特に気を付けたのは、①プライマリーな疾患を学ぶ上で、近くに大きな病院がなく、入院患者の疾病に偏りがない、②病院が都会過ぎず、田舎過ぎないところに建っていて研修に集中できる、③病院がある程度規模が大きく、医師が充実している、④研修制度が昔からあり、ノウハウが備わっている、④電子カルテを採用している、といった病院でした。
 当院を見つけたのは実はインターネットでした。上記に該当する病院はいくつかあり、6年次のポリクリを利用し、当院を含め実習をさせていただきました。実習をさせていただく上で注意したのは、①上記の通りであったか、②研修医がイキイキとしているか、③指導医から十分指導されているか、④研修医向けの勉強会があるか、⑤研修医の勉強の場が確保されているか、です。特に③に関しては、市中病院には系列があり、他大学からでも快く受け入れてくれるのかどうかは心配でした。当院に関しては確かに京都大学系列という話を伺いましたが、他にも浜松医科大学や福井医科大学の先生方も多数いらっしゃいました。無理を言って1ヶ月間当院で実習させていただきましたが、実習をしてみると、大学の垣根はなく、研修医の皆さんは丁寧に指導を受けられていました。皆イキイキとしておりました。ましてや東京にある一学生の私に対してもたくさんの指導をしていただきました。
 現在研修して改めて振り返ってみると、研修医への指導としては、救急チームへの参加、心・腹部エコー実習、英文抄読会、総合診療科カンファレンス、早朝レクチャーなど、毎日が充実しております。また当直も上級医の先生(毎回異なる)と一緒にすることで、先生方の問診、診察、説明で良いと思われる部分を選んで学ぶことができ、また上級医からは自分の良いところ・悪いところを指摘していただいております。研修医の勉強部屋も一人一つの机があり、落ち着いた夜には勉強をすることが可能です。
 今まで見学(実習)させていただいた病院の中で限りなく上記を満たしている病院と感じました。実習が終わる頃には当院で研修できるよう先生方にアピールをしていたのを覚えています。
 無事当院にマッチし、実際に2006年4月より研修させていただいております。自分が学生の実習で感じていたことに間違いはなく、昨年の研修医の先生方と同様に私もたくさんの指導を受けております。大学同期の友人と比較しても、恵まれた環境で勉強させていただいていることに改めて気づかされます。私だけでなく、当院研修医1年同期も同様のことを言っており、先輩の研修医2年の先生も同じことを言っておりました。
 医師になってからの数年間が一番伸びる時期とどの先生も口をそろえておっしゃいますが、その貴重な時期に、自分の納得できる病院で研修を受けられるよう、学生の時期に頑張って病院を探してみてください。

▲ ページトップへ

◇2005年研修開始 ■中込大樹、井上聖子

■中込大樹(山梨大学2005年卒)
(2005年4月~2007年3月まで在籍。その後、山梨大学皮膚科へ赴任)
 「研修医は病院の宝」。島田市民病院の指導医は研修医にこのように言ってくれます。思えば、3年前、研修病院をどこにするか様々な有名病院を見学しました。島田を見学に来た時に、ここの研修医は質が違うと驚き、第一希望で願書を出しました。1年次には心エコー・腹部エコー(島田の1年生でエコーのできない人はいません)・救急・病棟で基礎診療能力を身につけ、2年次には総合診療科外来・主治医として日々充実した日々を過ごしました。研修は教育・臨床の2本柱です。学生の頃、大学は教育は優れているが臨床は・・・、一般病院は臨床実践は優れているが教育は・・・など友人と研修先を相談したことがあります。島田は研修医のためだけの専属の先生が二人おり、きめ細かい指導(カンファレンス・実践)はどこの病院にも劣りません。救急は通年かかわるシステムとなっており、year noteの1冊の症例は網羅できます。日中の救急チームで得た知識は、当直で発揮できます。病棟・救急ともにマンツーマン+屋根瓦方式となっており、臨床・教育日本でも屈指だと思います。当病院では、総合診療科の名の下、戦力として扱っていただけ、2年の研修で4年目の実力がつくと自負しております。やる気のない研修医はどこの病院でも一緒、やる気のある研修医は病院で差がつきます。私は、皮膚科医としての専門の道を選択しましたが、この2年の研修により、ERのできる皮膚科医・全身管理のできる皮膚科医に近づけたと思います。ぜひ、やる気のある人は、1度島田に見学に来てください。

▲ ページトップへ


■井上聖子(浜松医科大学2005年卒)
(2005年4月~2007年3月まで在籍。その後、土浦協同病院へ赴任)
 この病院で初期研修をしようと決めたのは、6年生の6月の病院見学がきっかけです。病院見学の際、4月から働き始めた1年目の研修医の先生が、救急チームで心エコーを行い、自分の意見を述べていました。働き始めたばかりなのに、1人の医師として意見が述べられる雰囲気にひかれ、この病院での研修を希望しました。
 研修を実際にしてみて、自分が直接一緒に患者さんを担当させていただく上級医だけでなく、まわりの先生も私たちをsupportしてくださる体制が整っているなと感じました。あたりまえのように研修医に時間を割いてくださる先生方に本当に恵まれていたなと感じます。
 数ヶ月単位に科をローテーションする現在のシステムでは研修目標に対し、なかなか指導医と研修医の共通した認識をもつことが難しいと感じましたが、私たち研修医次第で吸収できることが増えていくと感じ、積極的に何でも自分から関わっていく事が大切だと思いました。
 今、この病院を去るにあたり、与えられた環境が本当に当然と感じていたことを反省しています。自分も研修医に指導する立場になった際には、この病院の先生方のように、快く時間を割いてあげられるようになりたいと思いました。

▲ ページトップへ

◇2004年研修開始 ■松尾崇史、池田英敏、八木英哉、伊藤靖弘

■松尾崇史(京都大学2004年卒)
(2004年4月~2007年3月まで在籍。その後、大阪市立総合医療センターへ赴任)
◇初期研修を振り返って(2007/03)
 私は、単独型で島田市民病院の初期研修を申し込みました。ポリクリや授業に熱心に出席していなかったせいか、興味ある分野や科がみつかりませんでした。飲み会と称する医局の勧誘がいくつもありましたが、気乗りはしませんでした。当時、大学側から半分しか残れないといわれたので、病院見学を6年生の夏から始めました。関東、関西の有名病院も見学しましたが、研修医が積極的に仕事をさせてもらえるところが少ないと感じました。また、人気病院は入学(入院?) 試験があります。最後の自由な夏を試験勉強に注ぐことは、私にとって非常に難しい問題でした。
 2003年7月中旬、大学病院Hpで関連サイトをみて、当院Hpを見つけました。救急に力を入れ、厳しい生活の中で若手が楽しく仕事している印象を受けました。試験がないということも、心に響きました。すぐに見学希望を伝え、東京の病院見学の帰りに島田に行きました。JR島田駅前からバスに乗りました。運転手がとあるバス停を通り越し,「しまった」と言った時は、東京の満員電車との落差に、『凄いところにきた』と衝撃を受けました(無論、その後もバスに乗っていますがアクシデントはそれ1回きりです)。
 病院到着後に院長、副院長に挨拶をし、すぐに見学に入りました。電子カルテ、画像機器など施設の充実ぶりにまず驚きました。そして、若手研修医につき仕事を見させてもらいました。研修医は忙しそうでしたが、楽しく救急や病棟で夜遅くまで仕事をしていました。指導医やコメディカルスタッフの方のサポートも厚く、働きやすいところだなと思いました。自分がしたい研修がここにあると感じました。科や分野を決めるためではなく、医師としての訓練がここでできると思いました。夜は食事をご馳走になり、魚がおいしくて、内陸育ちの私は大喜びでした。静岡は地酒も豊富で、それがまた嬉しかったです。島田の「女泣かせ」、「若竹」も私が好きな日本酒です。阪神大震災を経験した私としては、東海地震が怖かったです。しかし、『ここなら厳しい研修を乗り越えられる』と、島田市民病院を選びました。
 こうしてトントン拍子に、私は島田での研修が決まりました。同期は、ビール大好きな小児科医、巨人な脳外科医の卵でした。また後半から、ペットが鰻の内科医、サーファーの神経内科医、年配で経験豊富な整形外科医の卵達でした。
 現在、スーパーローテート方式により、態度や手技についてQuality Assurance(品質保証)が求められています。教育システムのいたるところに、安全性を考慮しマニュアルが導入されています。少子高齢化で相対的に医師不足が深刻になる一方で、新たな知識を勉強しなくてはいけいない日本人医師の現状があります。昨今の社会事情もあり、この傾向は仕方のないことかもしれません・・・。1年目は、基本手技を覚え、上級医の側で勉強させてもらいました。2年目から少しずつ責任を与えられ、主治医のように自らの判断を診察、治療に入れていくことになりました。今では、1年目がかなりの責任を与えられ、仕事をしています。
 同期は、みな個性的で同じ研修を受けているのに、かくもカルテの記載内容が異なるのかと感動しました。各自の興味や感性により、受け取る情報への解釈が異なるのでしょうか。2年間でこんなに差があるのだから、10年後はもっと変わっているでしょう。同期は各々の味を出して、今後も医療に従事すると思います。新たに来られる研修医は品質保証を獲得して満足せず、自分のしたい医療を追求してください。地元の方や上級医は優しく、島田には各研修医の個性を受け入れてくれる土壌があります。問題をおこせば、すぐに指導がきます。そのたびに反省し、次の医療の糧とします。当院は、そんな厳しいですが懐の深い病院だと思います。だから、働きやすいと感じたのかもしれません。
 研修内容で他に特徴的な点は、当院は地域の基幹病院であり、軽症から重症まで様々な患者が入院します。電子カルテが充実しており、担当以外の患者の知識を共有できます。CPC、救急カンファが定期的に行われ、疾患や教育症例をさらに深く勉強できます。そして、非常に感謝していることですが、コメディカルや病院を運営している方々が、医師を支えてくださいます。
 臨床を志す人にとって、ここは恵まれた環境だと思います。それを十二分に活かして、自らの臨床能力を磨いてください。そして、スーパーローテート後に何をしたいかを探してください。
 医師、コメディカルスタッフ、病院を支えているスタッフのみなさんに、この場を借りて御礼申し上げます。

▲ ページトップへ


■池田 英敏(大阪市立大学2004年卒)
(2004年4月~2006年3月まで在籍。その後、大阪市立総合医療センターへ赴任)
 4月下旬から市立島田市民病院に来て、はや6ヶ月。その間内科系2コースを終え、現在麻酔科を研修しています。内科系ではそれぞれの専門的な手技、診察法、治療法を学べ、市民病院ならではの一般的な症例から大学病院でもあまり診ないような複雑な症例まで幅広く経験しました。麻酔科では指導医の下、基本に沿った確実な麻酔を学び勉強しています。また、昼は週に2回救急チームに所属し、システム化された救急の一線で先輩医師の下、悪戦苦闘して手技、診察法を身につけています。
 この病院は実践を重んじているので、可能な範囲内で様々な手技経験でき、また、より深い知識を求められます。
 堅苦しい話はこれくらいにして、島田市は、東は富士山、西は大井川、北は寸又峡、南は吉田港という自然に恵まれた土地で、酒、肴が非常においしいところです。

▲ ページトップへ


■八木 英哉(金沢大学2004年卒)
(2004年4月~2008年3月まで在籍。その後、京都大学医学部附属病院へ赴任)
 2004年4月にこの病院に来てから麻酔科、一般外科での研修を終了しました。私達の代から卒後研修制度が大きく変わることになり、私も5回生の終わりの頃から夏までに多くの病院を見学して回りました。知名度(評判)、病院規模、医療水準、救急体制、研修医教育の経緯など、病院を選択する要素は多くあります。市立島田市民病院は上記の多くを十分に満足する病院でありますが、最終的にこの病院を選択したのは新研修制度への強い熱意を感じたからです。
 多くの病院を回ると、新研修制度をポリクリの延長のように捉えているか、制度が変わるからには良い研修システムを作ろうとするか、病院の姿勢が2つに分かれることに気付きます。この病院は研修を重要視し、研修医の意見も柔軟に汲み上げてくれます。私もこの病院での研修を通じて、医師として成長したい、自分の研修経験を後輩にfeedbackしたいと思います。

▲ ページトップへ


■伊藤 靖弘先生(浜松医科大学2004年卒)
(浜松医科大学からの"たすきがけ"で大学での内科・外科研修終了後、2004年11月~2005年8月まで後期研修医として在籍)
 1年間の研修指導、大変ありがとうございました。大変感謝しております。
 早速ですが研修の感想を書かせていただきます。
 整形外科では、手術が多いのですが、内科救急チームの日はすぐに出て行けるようにするため、手術に加われないことが多く、そのことだけ残念でした。たった1ヶ月のローテでも時間外外来で整形が多いことから有益でした。
 外科では、ここでも内科救急チームとの兼ね合いがやや難しく感じることがありました。研修内容については特にここを治して欲しいといった点はありませんでした。
 麻酔科を内科/外科を回ってからローテできたことはとてもありがたい事でした。各々の知識を持ってからローテできたため、自分に任せて頂く部分が多くなり、それが励みになって、自分1人で麻酔管理をするとしたら、どういったことを勉強しておかないといけないか・・・と、考えながらローテでき、多くの体験をさせていただけた事に繋がりました。同時期のローテーターが多く、挿管経験が減りがちになってしまうことだけ残念でした。
 小児科で特にありがたかったことはほぼ主治医としてやらせていただけることと、小児当直経験です。整形外科/外科/麻酔科では主治医としての責任感をあまり持てなかったので、特に嬉しかったです。全て1人で行なうつもりでいろいろ考えました。当直でもコンサルトされて小児科医として診察するので、自然と必死になり、力になると思います。麻酔科同様、モノがちゃんと言えないので、観察が大切でした。
 地域研修での本川根診療所は時間外外来と異なり、重症度の分類の次に軽症の人にも十分な対症療法をする事にも心を砕くので、それが新鮮で面白かったです。十分な対症療法をする為にも、問診/身体所見は重要と再認識しました。
 精神科は漠然とした分かり難さがあったのですが、鑑別診断があって、その目で患者を見て問診→診断する事、鑑別診断のこと、薬物の使い方など、精神科の基礎を勉強できます。
 全体として個人的には各々の科に興味を持って、たくさん疑問を解決して、自分の底力を高める事が出来たと思います。制度については自分の受けてきた研修に不満はなく、いかに興味や意欲をもって研修できるかが大切と思っています。
 その他では腹部エコーの機会を頂いて、今後大学に戻っても一人で勉強を重ねる事が出來るぐらいの基礎は身についたと思っているので、感謝しています。
 ここの病院で2年間過ごす人と、大学から派遣される人との間で、差別されていると感じる事はほとんど無かったですが、一度、内科救急チームでメンバーから抜かれた時は嫌な気分になりました。
 ここは研修には非常に恵まれていると正直に思います。大変ありがとうございました。

▲ ページトップへ

◇2003年研修開始 ■中島幹男

■中島 幹男(近畿大学2002年卒、呼吸器内科専攻)
(2003年6月~2007年3月まで在籍。その後、榛原総合病院へ赴任)
 浜松医大で1年の初期研修後、島田市民病院に来ました。その間内科全科(内科系救急チーム)+麻酔科をローテーションしました。
 この病院の特徴として、指導医だけでなく迅速かつ柔軟な対応をしてくれるコメディカルの方々が多い、それぞれの科の垣根が低い、救急を含め症例が多い、手技面でも多くの経験を積める、同期・若手が多くアットホームな雰囲気、刺身・お茶がうまい、若手ナースが多い、バスケ・サッカー・スキーサークル・飲み会等課外活動が充実などなどでしょうか?こちらにやる気・体力があればとことんそれに答えてくれる病院だと思います。
 研修医向けの講義・カンファレンスも充実しており、BLS/ACLS/JATEC等は体で覚えることができるでしょう。いいことばかり書き過ぎましたが百聞は一見にしかず、一度見学にいらしてはいかがでしょうか?大学病院とは一味違った雰囲気が体験できると思います。

▲ ページトップへ

◇2000年研修開始 ■川人充知、前羽宏史

■川人 充知 医師 (福井医科大学 1999年卒)
(2000年11月1日 ~ 2003年5月31日まで研修医として在籍。2007年4月~当院循環器内科にて活躍中)
 私は、卒後2年目の途中で島田市民病院に赴任し2年半の間研修させていただきました。卒後1年目大学病院での研修中、多くの先輩医師で島田で研修された先生方がとりわけ輝いて見えたのを思い出します。豊富な知識、経験、技術とバランスのとれた"内科医"が大変魅力的でした。もちろん私も島田市民病院を希望し、幸い研修できることとなりました。
 新たな研修医制度がはじまり研修カリキュラムは違いますが、参考までに私の研修内容をご紹介します。
 1年目は消化器科・呼吸器科研修4ヶ月、循環器科・総合診療科・血液内科・糖尿病代謝科など4ヶ月、麻酔科研修3ヶ月でした。その間に、夜間は指導医とともに副当直医として、日中は救急チームの一員としてさまざまな救急疾患を経験することができました。2年目は、1年目で習得した基礎をもとにあらゆる内科疾患の主治医をしながら、内視鏡、エコー、カテーテル検査などを行い、救急車がくれば救急室へ走りチームリーダーとして指示をだし、夜は内科当直や透析当番・・・と体がいくつあっても足りないと感じる日が多々ありました。そんな忙しい中でも何とか乗り切ることができたのは、各科の指導体制の充実であったと思います。毎日夕方には、いずれかの科のカンファレンスがあり、入院患者の治療方針の確認、症例検討、抄読会など大変勉強になる時間でもありました。
 この病院では、研修医が診療の中心となりたくさんの入院患者の主治医はもちろん、あらゆる検査に参加できる機会が多くあり充実感を感じるとともに研修医でありながらも一医師としての責任感も日々求められていました。その一方で、先輩医師、指導医のバックアップ体制も整っており、フィードバックを繰り返すことにより少しずつ成長することができたと思います。また、同期の存在も大きく、互いに刺激し合いいい意味でのライバル関係でもありました。前羽先生たちとも人目につかない居酒屋でよく研修医カンファレンス(?)を開催していました。研修医時期にともに苦労をした仲間は、これから先も非常に大切なものだとつくづく感じています。
 2年目研修の後半では、循環器科志望ということもあり科長の近藤先生のご指導をはじめ、専門研修として多くのことを学ばせていただきました。急性心筋梗塞をはじめとする虚血性心疾患、心不全、心筋疾患、不整脈疾患ほか多種多様な症例を経験することができました。また、臨床と直結した、研究活動にも参加し多くの学会発表をさせていただきました。それにより日常診療に深みを増した気がしています。
 さて、この病院の研修で他の病院と大きく異なった点は、日中の救急チームの存在です。1から3年目のわれわれ研修医が中心で、指導医1人を加えた4,5人で救急搬入の患者さんの初期対応を行います。ガイドラインに基づくACLSの実践からICU、CCUでの重症患者管理まで、将来どの科にいっても必要となる急変時の対応に多少は自信をつけることができました。
 研修医は、いくら教科書を読んでも目の前に患者さんがいない限り何の役にも立ちません。できるだけ多くの時間を病院で過ごすことが近道かも知れません。お風呂、ベッド、朝食もとれる食堂。住むことだってできるかも知れませんね(?)。たまに息抜きが必要なら、外に出れば大変温暖な気候で、山(富士山)あり、川(大井川)あり、海(駿河湾)あり、温泉(あちこち)あり、お茶にみかんに・・・。しかも魚がほんとに美味しい! こんなところで、つらく楽しい研修期間を過ごしてみてはどうでしょうか?

▲ ページトップへ


■前羽 宏史 医師 (関西医科大学 1998年卒)
(2000年6月1日 ~ 2002年6月30日まで在籍。その後、関西医科大学附属病院へ赴任)
 卒後3年目の2000年6月より2年間島田市民病院で研修させていただきました。
 島田市民病院に出向する前に、先に同院で研修された先輩の西上先生に「ほんまに島田市民病院はしんどいから覚悟しておけ」と言われてどきどきしていたことを思い出します。しかし今、同院での2年間の研修を振り返ると、確かにしんどかったとは思いますが、そんなことはふっとんでしまうほどとても充実していて、本当に楽しい日々だったなあと思います。僕達の時代は就任一年目が循環器、消化器、一般内科(血液、内分泌)、呼吸器、麻酔科のローテーションで、2年目がその中で一つメインを決めた上で、麻酔科を除く全科を研修するというものでした。
 僕の場合、2年目は循環器科を専攻したのですが、以下に僕が感じた島田市民病院の研修、病院自体の特徴をまとめてみました。

(1) 教育熱心(教え好き?)な指導医の先生方
 どの科も負けず劣らず優れた指導医による研修システムが確立されていたと思います。担当指導医いかんにかかわらず(時には外科の先生までも)、指導医の先生方がとても教育熱心で、なんとかこいつに教えてやろう、指導医たる者は研修医を教える義務があるという勢いをひしひしと感じました。夜遅くまで残っておられる指導医の先生も多くおられ、また誰もいない時でも緊急時には直ぐに指導医の先生が病院に駆けつける体制が整っていいたため、夜中でも1人途方に暮れることはありませんでした。ただ僕はいつも通常業務だけでアップアップになっていたため、指導医の熱い要求に答えきれない自分を歯がゆく感じたことを思い出します。これは僕の持論ですが、研修医の時期は怒られてなんぼだと思っています。研修医の時期は特に間違いを犯す確立は高いものですが、大切なことはそこでその間違いをしっかり正してもらうことだと思います。この時期に間違ったまま放っておかれると大変なことになってしまいます。循環器科の近藤先生を始め、他科の先生にも愛情のある喝を何度か入れていただきました。そのときはとても怖かったですが、おかげでその後は同じ間違いを繰り返さないように意識するようになったと思います。

(2)科学的根拠に基づいた高度先進医療、かつ暖かな患者中心の医療
 僕の先輩の西上先生も言われていましたが、大学病院などの大病院にありがちなsectionalism等は存在せず、常にどうしたら患者さんが治るのか、良くなるのかを中心に考え、医師、看護師及び技師が協力して医療を行っているなあと感じました。どの科も医療を行うにあたり科学的根拠を重視しており、良いと思われるものは何でも積極的に取り入れる柔軟さが素晴らしいと感じました。また科学的根拠に基づく医療を実践するためのカンファレンス、英文抄読会での討論等も大変勉強になりました。
 その他、患者中心の暖かな医療を行う上では医師以外のco-medicalの協力は不可欠ですが、その点でも申し分なかったと思います。
 看護師の方々はとても献身的で、自分が患者ならこんな看護婦さんに担当してもらいたいなあと思う人が数多く居られたのを覚えています。夜中に亡くなった担当患者さんのためにわざわざ勤務外にもかかわらずお見送りに来ている看護師さんを見た時にはとても感動しました。
 また技師の方々もこちらが無理な要求をした時でさえも、快く引き受けてくれるようなフットワークの軽さを備えられており、とても仕事がしやすかったです。また土地柄なのか医療従事者の皆さんの人柄がとても温厚だったのが印象的でした。
 慢性疾患で入退院を繰り返す患者さんにおいては、入院主治医はほぼ固定であったため、付き合いも長くなる分、医師患者間、患者家族間との信頼関係が深くなり、またその重要さを理解できたような気がしました。
 研修医の大切な時期に医療の本来の在るべき姿を目の当たりに出来たことを大変嬉しく思いました。

(3)豊富な症例数、臨床研究、学会活動
 実際いくら研修システムが優れていても症例が少なければ効果は半減すると思うのですが、その点に関しても何の申し分もありませんでした。平均して15人前後、多い時で20人位患者さんをもたせていただいたのですが、常にすべきこと、調べることが山のように蓄積しており、手帳や手のひらがいつも真っ黒になっていた気がします。指導医の先生方もなるべくいろいろな症例を経験できるように工夫をしていただいたこともあって、稀な疾患を含めて、超重症から軽症まで多岐にわたる症例を経験させていただきました。剖検例や外科転科例も十分に担当させていただいたこともあり、実際内科認定医を受ける際に必要な症例は島田市民病院の症例のみで全て網羅されていました。(これは余談かもしれませんが、実際他の研修指定病院でも剖検例が足らず困ったという話をよく聞きます。)また僕が専攻していた循環器科は臨床研究、学会活動も大変盛んでした。それまで学会活動などはほとんどしたことが無かったのですが、懇切丁寧に指導していただき、実際に何回か発表もさせていただき大変勉強になりました。

(4)処置や手技の実施
 自分の専攻する循環器科では心カテをさせていただきましたが、それ以外にも胃カメラ、気管支鏡、TAE等指導医の付き添いのもと様々な処置,手技をさせていただきました。実際手技をさせていただくことにより、後から見ているだけよりははるかにその疾患に対する興味や病態の理解に大いに役立ったと思いました。

(5)救急部隊
 その他上記の全科ローテーション以外に印象的だったのは救急チームだと思います。僕達の時は指導医一人に対して救急チームが3~4人で構成されており、それを週に3回担当することになっていました。その3回のうち一回は自分が救急チームのリーダーとなり全体を統括し指示する係りをするのです。そしてリーダーが判断に困ったり、誤ったりした時に救急指導医による助言を受けるというものでした。救急車は多い時には内科だけで一日に4~5台もくるときがあり、それを通常業務とは別にこなさなければならず大変でしたが、色々な一次救命救急を経験させていただき、大変勉強になりました。メンバーが日替わりなので時には自分がリーダーになり、時には部下になり、いろんなパターンがあって楽しかったです。(当時は通常業務に専念できへんやんけとよく愚痴っていたような気がしますが)

(6)同期の仲間
 僕が島田市民病院に内科研修医としてお世話になっていたときは僕の出身校である関西医大の他に京大、福井医大、浜松医大からも研修に来ていました。今ひとつ根性のない僕がなんとかこなすことが出来たのも高い志を持つ同期の仲間達の存在があったからこそだと思っています。自分よりもっとへろへろになって頑張っている仲間の姿によく励まされたものです。また研修医は皆、昼は病院の食堂の定食、夜は病院のこってり弁当(残念ながら外に食べに行く時間は無いです)とほとんど同じ釜の飯を食った仲間の状態で、かつ上記の救急部隊や夜中の緊急カテーテル等、重労働を共に助け合いながら行っているので、仲間同士の連帯感が強くなります。心筋梗塞患者の担当になったため、家に帰れなくなった研修医のために皆で差し入れのモスバーガーを買いに行ったり、風呂に入りに帰る間だけモニターの見張り番を交代したりと本当に楽しかったなあと思います。そんな感じだったので島田を去った後も連絡を取り合い、お互い同じスタート地点を持つよきライバルとして刺激しあったりしています。

 島田市民病院とはそんな病院でした。
 最後に島田を去る前にお世話になった方々への院内メールにお別れの挨拶文を書いていた時はあまりにも充実した日々、いろいろな楽しかった思い出がこみ上げてきて目頭が熱くなったことを昨日のことのように覚えております。
 僕達がいたころの島田市民病院の研修とスーパーローテーション導入後の同院の研修とは若干違いがあるとは思いますが、基本的には病院の姿勢というのは変わらないと思いますので、ここに書かせていただいたことを少しでも参考にしていただけたらと思います。これから島田市民病院で研修することを考えられている先生方には自信を持って推薦します。(個人的にはあんな楽しいところでこれから充実した研修をされる先生方を羨ましくも思います)
 徒然なるままに書いているとこんなに長くなってしまいました。

▲ ページトップへ

◇~1999年研修開始 ■近藤祥司、中野顕、河崎洋志、西上尚志、宮崎俊一

■近藤 祥司 医師 (京都大学 1992年卒)
(1993年4月1日 ~ 1995年3月31日まで在籍。その後、University college of London 、Molecular biology へ赴任)
 私は平成5年4月より2年間、島田市民病院で循環器内科を中心として一般内科研修を受けました。今回、日本の臨床研修制度が大幅に変更されると伺いましたが、私自身が島田市民病院で働いた実体験をここに記し、若い人達の参考にしていただけたらと思います。
 私にとって、島田市民病院での研修は、以下の点で有意義なものでした。
 まず第一に、全く"新鮮な"症例を主治医として最初から長期にわたり観察、治療できることです。都市部の病院では、すでに確定診断がおりて加療中という症例が非常に多く(症状も加療でマスクされていたり)、そういう意味で"新鮮な"症例にはなかなかお目にかかれません。例えば、私が深夜当直中に、側腹部痛と高血圧で受診した患者は、入院加療により褐色細胞腫と判明し、その後のアンギオ診断を自身でする機会にも恵まれました。典型的な糖尿病昏睡も都市部の病院ではまずお目にかかれないと聞きました。いろいろな急性腹症(虫垂炎からクローン氏病穿孔まで)から緊急オペまで直接関与し、オペ場に参加し開腹所見と自分の画像診断のどこが違っていたかを自分の眼で確認できたのも貴重な経験でした。臍部周辺に鈍痛を訴える患者に対し、外科の先生と相談して、非典型的ではあるが急性腹症と結論して、緊急オペに望んだ経験がありました。オペ場で、虫垂炎穿孔が小腸によりパッキングされて体中心部に移動し、おそらくそれが原因で腹部所見も緩和されていたことを確認したときには純粋に驚きました。島田市民病院は病床700という、その地域の基幹病院であり、多くの初診例が直接集まるという意味で、新鮮な症例を数多く研修できる貴重な病院と思われます。
 第二に、paramedicを含めた24時間体制の徹底による全人的治療です。これは静岡でも随一のレベルにあると私は確信します。私が、深夜に緊急で経静脈造影をお願いしたときも、嫌な顔ひとつせず技師さんが手伝ってくれたことが幾度もありました。虚血性心疾患の緊急カテも、もちろん24時間体制でした。言葉では簡単ですが、以上のようなことは、医師とparamedicの緊密な関係が無ければ不可能なことです。
 医師同士の連携も、科を越えて緊密なものでした。神経内科研修中の私の友人は、脳外科のアンギオ検査にも参加していました。内科研修医は全員麻酔科研修が義務づけられており、救命医療にも応用できるものでした。ある日曜の午後に、救急車で担ぎ込まれた40代男性の心停止に対し、その場にいた数名の内科医師で交代で心肺蘇生を1時間30分以上行い、無事蘇生できたのは奇跡的ではありますが、決して単なる偶然ではなかったと思っています。このような環境だからこそ、若い力を医療に全力投入できるわけで、その中で、現代医療(あるいは日本医療)の矛盾や限界もしみじみ実感することでしょう。
 第三に、科学的、論理的医療の追求です。ますます氾濫する医学情報と、複雑化する手技の中で、現代医療が多忙化しているのは皆認めるところです。膨大な論文の中からどのような最新情報を選択し治療現場に取り入れるかという"判断力"こそ、今後医師に要求される大きな資質の一つです。島田市民病院における毎週の論文抄読会で最新の情報、技術を討議し、実際に現場に導入するという姿勢は、医療に対する情熱とクールな知的探求心に裏打ちされたものです。そして実際にどれを選択するかという判断基準の根幹は、患者の利益になるかどうかという一点にあるのです。安直な先端器具、最新薬の導入はややもすれば商業主義や単なる知的満足と結びつきやすい危険を孕んでいますが、それを防ぐのは、論理的統計学的思考と患者利益優先主義にあることを、島田市民病院で徹底して学びました。
 「人は城」という言葉がありますが、病院とはまさに有機複合体です。それを構成する人達の姿勢こそ、その医療の質を決定する最大因子であることを学べるのは、言うは易く、実はなかなか日本でも数多くないと思います。私が研修後の人生でも、困難に立ち向かう勇気を貰えたことは、純粋に感謝する次第です。乱文ながら、若い人達の何らかのお役に立てればと思います。

▲ ページトップへ

■中野 顕 医師 (福井医科大学 1990年卒)
(1992年6月1日 ~ 1994年5月31日まで在籍。その後、福井大学医学部第一内科へ赴任)
 僕が島田市民病院に研修医として在任したのは、平成4年6月から平成6年5月までの2年間でした。すでに前任の先輩医師達から非常に忙しいけれども勉強になると聞いていたので、若干の不安はあったものの、かなりの期待をしていた事を記憶しています。実際に今振り返ってみても、島田での2年間は、僕の医師生活のなかでも最も充実した期待通りの2年間となりました。
 まず、1年目の各診療科のローテートが非常に有意義でした。その当時の僕の目標は、内科医としてあらゆる症状で受診した症例に対して的確な初期診断をくだすことでした。今となってはかなり無謀なことを考えていたとは思いますが、当時は真剣にそう考えていたのです。そういった意味では、循環器、呼吸器、消化器や一般内科の症例を多数経験することができた1年目は非常に充実したものでした。特に大学病院などと違ってcommon diseaseを多数経験できたことは、今でも僕の貴重な財産となっています。診断技術は年々進歩していますが、疾患に関する基本的な考え方は今もなんら変わっていないと思います。
 第二に、チームワークがいかに大事かを知りました。特に、コメディカルスタッフの協力なくして良質な医療の提供は決してできないということを学びました。言い換えれば、自分の望む医療をやりたければ、日頃からコメディカルに対する敬意と配慮を忘れず、全員がやりがいをもって仕事をできる環境をつくることが大切であるということを学んだと思います。島田市民病院のスタッフの方々は非常に明るく、時間外の仕事でも嫌な顔ひとつせず、一生懸命仕事をされていて、いつも救われていた事を記憶しています。
 第三に、すばらしい恩師と多くの友達を得ることができました。特に、島田市という非都会的というかアットホームな環境が、いろいろな面で人間同士の結びつきを強めてくれたような気がします。僕の在任当時は、京都大学、関西医科大学などから同世代の内科研修医が10人程度いましたが、夜中まで一緒に仕事して、雑談して、それから飲みに行くこともしばしばありました。救急患者が搬送されてくると、夜中であろうが常に全員集合していたので、チームワークもよく、忙しいけど楽しい日々でした。これも何十人もの研修医がいる都会の大病院にはないメリットであったと思います。御世話になった恩師の先生や何人かの同期はいまでも僕にとって大切な存在であり、学会などで会うのを楽しみにしています。
 第四に、学会発表や論文執筆などの機会も多く与えていただきました。自分が経験した症例の報告や興味をもった分野に関する臨床研究の経験は非常に充実感溢れるものでした。僕の場合は、その当時の経験が今も大学病院という環境でいかされています。
 以上とりとめのないことを書いてしまいましたが、最後に言いたいのは、医者になってから初期の何年かは、どんな医者になっていくかの基礎を形成する重要な時期であると思います。この時期の研修の主眼は最新の研修カリキュラムにばかり重点を置くのではなく、医者としての物事の考え方、患者さんを初めとする人とのつきあい方を学び、自分が与えられた社会的責任を十分理解し、謙虚で前向きな気持ちで仕事をすることが重要だと思います。そういう意味では島田市民病院は初期臨床研修にうってつけの病院であると思います。

▲ ページトップへ


■河崎 洋志 医師 (京都大学 1990年卒)
(1991年4月1日 ~ 1993年3月31日まで在籍。その後、HHMI & Departmennt of Neurobiology 、Duke University Medical Center へ赴任)
 自分はまだ全然わかっていない。イロハのイすらわかっていない。島田市民病院での研修が始まるや否や、こんな思いに押しつぶされそうになった。
 大学を卒業後、一年間の神経内科研修をしたのちに、静岡県島田市立島田市民病院での二年間の研修を選択した。研修させていただく病院を選択する際に、二通りの選択肢があった。ひとつは、将来専門とする神経内科専属の研修医となる選択肢、もう一つは、循環器科、消化器科、呼吸器科や一般内科などを一通り研修するという選択肢だった。私は、専門以外の診療科でも最低限度の知識と技術を身につけたい、例えば「道端で苦しんでいる人を見かけたら、専門以外でも少しは手助けできるようになりたい」と考え、後者の道を選ぶことにした。
 後者の研修ができる病院の中で、島田市民病院は最も魅力的だった。当時、島田市民病院はベッド数700床、島田市及び周辺郡部からあらゆる疾患の患者さんがこの病院へ訪れていた。救急は24時間体制で、基本的にはこの地域の全ての疾患の治療をこの病院で行っていた。研修医は、一般内科、呼吸器科、消化器科、循環器科と麻酔科をローテーションできることはもちろん、救急外来、一般外来、入院治療や各種検査(心エコー、心カテ、腹部エコー、胃カメラ、気管支鏡など)まで収得することができる。かつて島田市民病院に在籍されていた先生方からは、「これだけの充実した内容を経験できる病院は他にはない。もちろん非常に忙しいけど、やればやるだけ自分の身に付く。どうにかなるよ」と聞いていた。
 どうにかなる、、と思っていたのは甘かった。今から思えば「どうになかる」はずがなかった。筋性防御、知ってはいたが、触れたことはなかった。心不全、尿量に応じて利尿剤をどのように投薬するか? 一つ一つの処置、判断や指示が遅すぎて処理しきれない。初めて経験する死の現実感と医者の責任という重圧。患者さんの訴えるような眼差し。何度もくじけそうになったし、本当にくじけかけた。救急車の音の幻覚を聞いたし、公衆電話のピーピーという音ががポケベルの音に聞こえた。
 各診療科の先生方、先輩や同僚、看護婦・看護士さん、技官さん、事務のかたがた、そして患者さんとその御家族には感謝しきれない。各診療科の先生方には、こんなに手の掛かる研修医は初めてだと思われたに違いない。根気よく温かく(そして、とっても厳しく!)御指導いただいた。先輩・同僚には様々な大学から優秀な研修医(ちょっと口は悪かったが)が集まってきており、気の良い仲間になれた。島田市民病院は独自の看護学校があり、優秀な看護婦・看護士さんがたくさん入ってくる。かげひなたに助けていただいたことは数え切れない。技官さんには検査技術などを教えていただいた。本末転倒ながら、患者さんや御家族には、島田地方独特の暖かい人情で励まされたこともたびたびある。
 研修後半には少々の心のゆとりもでき、希望して脳神経外科にもローテートさせて頂き、オペに入らせて頂いたり脳血管撮影を教えていただいた。ローテーションの枠を越えて、外科の先生方から直接教えていただいたことも多い。かつて在籍されていた先生方の「やればやるだけ」という意味が徐々にわかった。自分で積極的に希望すれば、受け入れてくれる懐の深さがそこにはあった。
 忙しい合間の楽しみはなによりも食事だった。好物を思い浮かべると、、、丁子屋のとろろめし、焼津港の鰹茶漬け、清水の寿司、静岡市内の豚カツ、それから、ウナギも蒸し焼きも美味しかった。そして、なによりも新鮮なお茶が思い出される。
 島田市民病院では、医学の必須技術、緊急処置、他科へ診療依頼すべき患者さん容態の見極め、などといった医学の基礎面はもちろんのこと、医学を越えた多くの教訓を学んだ。「周囲の人々の助けがあってこその自分であり、自分一人だけでは全くの無力だ」ということも、その一つだと思う。目を閉じればありありと思い浮かぶ島田市民病院での経験は、今日のすべての基礎になっているように思う。

▲ ページトップへ


■西上 尚志 医師 (関西医科大学1989年卒)
(1991年6月1日 ~ 1993年6月30日まで在籍。その後、関西医科大学第2内科へ赴任)
 卒後3年目の1991年6月より2年間島田市民病院で内科、循環器科、消化器科、呼吸器科、麻酔科をローテーション研修させていただきました。大阪生まれの大阪育ちで、静岡は未知の土地でありましたのと同時に、大学病院での医療しか知らなかった新米医師にとりまして島田市民病院での経験は毎日が新鮮かつ有意義なものでありました。私の島田市民病院での経験談がこれから臨床研修をはじめる皆様の施設選択の参考になれば幸いです。
 1993年X月X日
 7時に起床し、病院へ行く。食堂で朝食を済ませ、昨日喀血で入院した呼吸器科の新患の回診に向かう。全身状態も安定しており、呼吸音も異常はなく、少しほっとする。続いて、3日前に入院した受け持ちの急性心筋梗塞の患者の全身状態をチェックした後、毎朝開かれる呼吸器科のカンファレンスに出席し、緑茶を飲みながら新患の今後の診断計画、治療方針を呼吸器科の先生方と相談する。急いで病棟へ指示を出す。午前中は受け持ち症例の心エコーとトレッドミル運動負荷心電図を施行する。心エコーは全てoverviewを受けるため、ビデオテープと光磁気ディスクに記録しておく。なかなか三尖弁逆流血流速がうまく記録できず、技師の方に助けていただく。いつも、いろんなことを教えてもらい、助けてもらってばかりなので頭があがらない。昼前に検査が終わったので、受け持ち患者の回診を一通り行い、昼食を済ます。午後からは急性膵炎で入院中の患者の中心静脈路の入れ替えを行う。入らずに困っているところに同僚の研修医があらわれ手伝ってもらい、無事終了する。その後自分の受け持ち症例の気管支鏡を呼吸器科の先生方とともに行う。TBLBはやはり緊張する。私が鉗子を使うと痛みを訴えるため断念し、TBLBは指導医の先生に施行してもらう。気管支鏡が終了し、一息ついていると、緊急の院内放送"ハリ?コール"がかかる。ここぞとばかり、走って救急初療室へ向かう。心肺停止症例の救急搬送であった。私が救急初療室到着した時にはすでに研修医数名に先を越され、心肺蘇生が開始されていた。夕方、循環器科のカンファレンスの準備を行う。明日、自分が担当する心臓カテーテル検査の症例のプレゼンテーションを行い、循環器科の先生方のチェックを受ける。再度、受け持ち患者の回診を行い、指示を出し、カルテを記載する。医局にもどり、来週の学会発表の準備を行う。今日は早く仕事が終わりそうなので、久しぶりに同僚研修医と食事に出かけようということになった。着替えて、病院を出発しようとしたところに、急性心筋梗塞の入院の知らせがあり、病棟に戻る。病棟での初期治療を手伝い、血管造影室の準備に向かう、看護師、技師の方々はすでに準備が終わっている。指導医が到着するまでに、右心カテーテル、動脈穿刺までは終了させておく。左前下行枝近位部が完全閉塞している。 PTCAにより再開通に成功する。病棟に戻り、主治医の手伝いをし、一段落すると、時計は11時を指していた。

 少し、かっこよく書き過ぎたかも知れませんが、2年間の研修後半の一日はこのように過ぎていったと思います。10年以上も前のことですが、目を瞑ると、昨日の事のように鮮明に記憶が蘇ります。
 2年間でたくさんの救急を含めた症例を経験させていただきました。そのなかで、内科医として必要な手技が修得できました。生意気な3年目研修医にも、各科の先生方は大きな包容力を持って厳しくご指導くださいました。当時、インターネットはありませんでしたが、24時間open(鍵がなかっただけ?)の図書室よりいつでも必要な情報が検索できました。EBMという言葉はまだありませんでしたが、根拠に基づく科学的な医療がすでに実践されており、その重要性を学びました。主治医として初療から検査、治療、退院まで一貫して関ることができ、そこには全人的医療の障害となるsectionalismは存在せず、患者中心の医療の実践を学びました。Co-medicalの皆さんにもたいへんお世話になり、色々なことを教えていただきました。優秀なCo-medicalの方々がたくさんおられる陰には、長年にわたって医療に対して真摯に向き合うスタッフの先生方の姿勢が伺われました。色々な大学より研修医が集まっており、大変いい刺激を頂きました。彼らは10年以上たった今でも良き友人であり、診療科は違っても良きライバルです。循環器科では、臨床研究の指導もしていただき、データ収集の方法から教えていただきました。。
 いいことばかり書いてきましたが、島田市民病院の欠点がないわけではありません。今は変わっているかもしれませんが、病院から官舎までの夜道が暗く蛙を踏む危険性があること、晩ご飯をいっぱいくれることが稀にあること。休日、静岡駅近辺をうろつくと必ず誰かに見つかることぐらいでしょうか??
 私は私の臨床医としての基礎を築いていただいた島田市民病院を臨床研修病院として自信を持ってお勧めいたします。

▲ ページトップへ


■宮崎 俊一 医師 (京都大学 1979年卒)
(1980年7月1日 ~ 1983年3月31日まで在籍。その後、国立循環器病センター心臓内科を経て、近畿大学教授としてご活躍)
 私は1980年から1983年まで市立島田市民病院に在籍した元研修医です。1979年に京都大学を卒業し1年間の内科ローテートをしましたが、その時点では血液学が面白いと感じていましたので島田市民病院で研修して大学へ戻ってきた第1内科の先輩(大久保先生など)の勧めもあって島田市民病院での研修を希望しました。
 京都大学病院でのローテート中は研修医は医師、看護師、看護助手、技師、などあらゆる職種の仕事をせねばならず悲壮な働きぶりでした。また、白血病の患者さんの点滴は次々と抗ガン剤によってつぶれてしまい、末梢静脈確保が困難ことがしばしばでした。一方、中心静脈穿刺技術というものは外科領域の技術とされており我々内科医が実施することは御法度であり内科医というのは不便なものだという惨めさを感じたものでした。
 そんな1年間の経験後に島田市民病院へ赴任して最初に感じたことは、なんと働き者の看護婦さん達だろうという驚きとベッドサイドでの技術習得ができるという喜びの2つでした。特に循環器科の近藤先生には挿管の仕方、中心静脈穿刺法、剖検の仕方などを合理的に教えて頂き本当に感激しました。また消化器科では胃透視、胃カメラからERCP、肝生検まで経験させて頂き毎日が楽しくてしょうがないといったところでした。
 1年ほどして師匠の近藤先生のやっていた心カテ検査に首を突っ込みたくて日参していましたがなかなか許可が出ませんので、泌尿器科の橋村先生に御願いして腎動脈造影検査に入れてもらいました。ところが最初の症例で穿刺部側の動脈血栓症を合併してしまい、外科の竹中先生に緊急手術してもらい事なきを得ました。その後、やっと心カテ検査に入れてもらい、循環器を専門にするという決心がついてきた頃に急性心筋梗塞の患者さんが入院後あれよあれよという間に目の前で死んでいきました。当時はGIK、硝酸薬などの薬物治療と安静が標準治療でしたが全くの無力感を覚えたものでした。その頃近藤先生を中心として毎週金曜日の早朝に抄読会をしておりまして丁度冠動脈内血栓溶解療法の論文が出ていました。それで、次の症例には是非とも適用しようと準備していたところ院内発症の急性心筋梗塞があり、右冠動脈にウロキナーゼを注入したところ再開通するとスーと血圧が上昇したことを覚えております。まさに劇的な効果でした。今にして思えば右室梗塞の血行動態になっていたのでしょうが、当時はとにかく有効だと確信したものでした。あれから20年以上経過したとは信じられないくらい、ほんの昨日のように思えることばかりです。
 私の頭が老化して過去の記憶のみが明瞭になっているのかも知れませんが、それでも当時島田市民病院で経験した実臨床の記憶は極めて論理的で、理解しやすいものでした。それが今でも明瞭な記憶となって残っている理由の一つと思います。以上、とりとめもなく文章を書きましたが、島田市民病院は現在の私の出発点であり、多くの方々に本当に感謝しています。育てて頂いて有り難うございます。

▲ ページトップへ